免停時代の暗い思い出(3)

いろんな事件、事故の話を聞いた。これまで20年間無事故無違反だったのに、田んぼの中を酒酔い運転で軽トラで走って捕まった親父。トラックの運転手など、免停、免取りになったら暮らしていけない人たちは、弁護士を連れてきていたり、事故の被害者からの嘆願状などを持ってきていた。

そして私の番がやって来た。

元警官らしき親父。「XX(私の名、当然呼び捨て)」
私 「はい」
親父 「前へ」
私、審判官の前へ、裁判所法廷での被告さながらに進み出る。
再び親父 「XX、本籍福岡県、昭和46年某月某日生まれ、25歳。平成9年9月27日、神奈川県逗子市の横浜横須賀道路逗子インター付近で制限速度80キロのところを時速147キロで走行、速度超過50キロ以上、減点12点」
「平成9年11月1日、埼玉県狭山市の関越自動車道にて、制限速度100キロのところを時速128キロで走行、速度超過25キロ以上30キロ未満、減点3点。」
「合計15点の減点です。」
審判官 「これまで君は無違反だったのに、スピードばかりで2回とは気になるな。」
私 「申し訳ございません。これまで安全運転を6年間続け、無事故無違反だったのに魔が差しました。」
審判官 「死亡事故の大部分はスピード超過によるのだから、これからスピードを出し過ぎないように。」
私 「これからは安全運転に努めますので、宜しくお願いいたします」

あっけなく終了。

このようにしておよそ60人分の悪行の数々を聞かされ、そして審判官が資料を持って別室へ引っ込み、ついに最終の行政処分が下されようとしていた。
大体ここに来ている連中は、まともに処分を食らえば免許取消になってもおかしくない連中ばかりだった。自分の処分が発表されるとなるとどきどきする。欠格期間は1年で済むのか。青猫はやはり半年でドナドナされていってしまうことになるのだろうか…。
いろんな不安が胸の中を渦巻いていた。こんな感覚は,大学の合格通知の電子郵便を家で待っていた浪人生時代以来であった。


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