速度違反での処分が来るのを待つ間、私は自由に運転できた。処分が来れば、少なくとも半年の免停は免れないとは承知していた。しばらくはおとなしく運転しようと思っていた矢先の出来事だった。
再び当時の彼女、現在の奥さんと関越道方面へとドライブへ行った帰り、車の流れに沿って130キロ程度で走行中、私だけが捕まったのである。
夜だったので気がつかなかったが、恐るべし埼玉県警、R33GTRのPC。28キロオーバーであった。減点3。そして2度目の違反から2週間ほど経ち、東京区検から事情聴取に出頭せよとのお達しが届いた。
初めて訪れる桜田門の東京区検。取調官にカツ丼はおごってもらえるのだろうか。
行ってみると、普通のオフィスとほとんど代わりがない。検察官も、サラリーマンのようだった。当たり前かもしれないが。事実関係の確認と署名で、あっけなく調べは終わった。
しばらくして、再び素敵なお手紙が届いた。裁判所からのものである。(クリックすると拡大します)
そこには、略式命令の判決が書かれてあった。その判決とは、「罰金9万円、払えなければ一日あたり5000円分の労役」というものだった。
つまり,18日臭い飯を食いたくなければ9万円払え、というのが官憲の命令である。もう一桁多い罰金を予期していたため若干嬉しかったが、再び喜んでいる場合ではないという当たり前のことに気づく。学習しろよ、俺も。
「人生何事も経験」などと世の中では言われているが、ただでさえ前科者になってしまった上に、市川の交通刑務所なんか行っている場合ではない。
テレビの「交通警察24時」などという番組に出て、懺悔する服役者の一人となった自分の姿を脳裏で想像してしまった。
当然選択の余地もなく、会社の近くの港信用金庫本店の姉ちゃんに変な目で見られながら(あるいは自意識過剰かもしれないが、何で国庫納付金を払わなければならないのか納付書に記載してあるため)、高い高い授業料を納付した。余談だが、確か私の通った国立の高校の半年分の授業料はわずか4万7千円だった記憶がある。それに比べれば、えらい高い授業料であることは間違いない。
しかし,これで終わりではない。刑事処分が終わっても,行政処分(免停とか免取りとか)はまだ下されていないのだ。
そして、刑事処分が決まってから追い討ちを掛けるように、「聴聞会出席の通知」とかいう素敵なお手紙が、また我が家にやって来た。
何でも「重大な行政処分を下す前に,言い分を聞いてやるのでまた桜田門まで来い」ということらしい。
こういうものは行って反省している振りを見せてやったほうが,処分が軽くなるに違いないと思い,また会社を休んだ。
しかしこの聴聞会はものすごいものだった。
何がすごいって,重大な交通違反を犯した人間が60人近くひとつの部屋に閉じ込められ、みんなの聞いている前で一人一人審判官の前で過去の悪行三昧をすべて暴露されたあと、さらに60人全員の面前で陳腐な言い訳をさせられ、「もう二度としません」などと言わなければならないのである。
たとえばこんな感じである。
まず、手伝いの元警官らしいおやじが朗読をはじめる。
「山田太郎、本籍どこどこ、昭和何年何月何日生まれ、何歳。平成何年何月何日、駐車違反、減点3点、平成何年何月、横断歩行者妨害、減点3点、人身事故過失大、減点8点、合計減点14点であります。山田太郎はどこどこで車を運転中,前方不注意によって横断歩道を青信号で歩行中の歩行者を撥ね、重傷を負わせたものであります。」
審判官。
「どうしてこんなことになったのかね」
山田太郎。
「(うなだれて)ちょっと考え事をしておりまして…」
審判官。
「これからどうすればいいか考えてみなさい」
山田太郎。
「運転中には運転に集中するようにします。横断歩道を歩行中の罪のない歩行者に怪我を負わせたことを深く反省しております。寛大な処分をお願いいたします」
こんな感じである。
大体こういう場でむかつくのは、実際に偉くないやつほど偉そうにすることである。この場合は、元警官らしきおやじがそうだった。
「交通違反で捕まったときに、実際は違反していないなどと警察官に虚偽の事実を述べたりしたことは記録に残っていて、行政処分を検討するにあたってはその点も斟酌される」
「刑事処分で仮に不起訴になったとしても、それがすなわち行政処分でお咎めなしということにはならないということは、どこどこ高裁の昭和何年何月何日の判決で確定している」などなど。
まあいい。こちらはすでに、免許取消,欠格期間一年と腹をくくっている。欠格期間1年だったら半年しか乗っていない青猫を中古車屋に売ろうと、中古車屋に先週末電話を掛けまくったぐらいだから…。