日々雑感 2006年3月

新年度を前に思う

高校生の頃は、一日中、一言も口を聞かないことがあった。 理解ある限られた友人たちは、私がそういう人間であることを理解していて、そんなときでも特に心配せず、私を独りの世界に放っておいてくれた。

その頃は他人よりも自分の方が頭が良い、と勝手に思い込んでいた。「そんなに伸びないゴムを一生懸命さらに無理に引っ張らなくても良いのに」と、こつこつ勉強するクラスメイトを小馬鹿にしていた。そしてよど号事件を引き起こした先輩達を輩出した、とても素敵な「自由」な高校で、誰からも何も強制されない生活を送っていた。

当然ながら現役で大学に行くことは叶わず、浪人した一年間、自分の思い上がりと馬鹿さ加減を思い知らされることとなった。
浪人していた頃は、自分の一年後の姿が全く想像できないことに耐えられなかった。来年また浪人しているかも知れず、どこかの大学に行っているかも知れず、それが日本のどこにあるのかすら想像できない。そんな思いと、かつて小馬鹿にしていた連中が大学生となって、自由を謳歌しているのを見せ付けられ、卑屈になった。その時付き合っていた彼女が大学に進学したことも、私を鬱屈とした気分にさせた。
予備校をさぼって遊んでいても、心の底に澱のように溜まっていく罪悪感や後ろめたさから、遊びが逆にストレスに変わり、心底楽しい気分にはどうしてもなれなかった。

高校三年間遊び呆けて、一年浪人しただけで済んだのは幸運なことだった。卑屈になって縮こまった心と体を、ようやくまっすぐ伸ばすことが出来る安堵感を感じた。親も喜んでくれて、初めて親孝行らしいことが出来て嬉しかった。母親は息子が行きたかった大学から合格通知が来たことを自分のことのように喜んでくれたが、その晩寝ていた私を起こして、「ところであなた、どこの大学に受かったの?」と私に尋ねた。

しかし、安堵感に浸ったのも束の間、入学してすぐ身近に不幸な出来事が起こった。そのせいで人と接すること、新たな友人を作ることが極端に怖くなり、また心が縮こまってしまった。
大学生にもなると、独りぼっちでいて一日中一言も口を利かなくても、一日は有難いことにあっという間に過ぎていってくれる。入学したての頃にそんな生活を送っていたものだから、大学在学中は、友達もあまり出来ず、敢えて作らず、無為な時間が過ぎていった。

そんな私も、この四月で社会人になってから丸11年が経とうとしている。昔は極端な躁鬱で一日中言葉を発しなかった私が、また、人見知りで恥ずかしがって、良く知らない人と話をすることすら出来なかったような私が、何の因果か営業の仕事をしている。
社会人になってから、高校時代の同級生と会う機会があった。後日共通の友人から、「あの時はY君とても機嫌良くて話が弾んで、そんな珍しい時に会えてほんとラッキーだったよ」とその同級生が語ったことを聞いた。私は普通に接したつもりだったのだが、昔の私から考えると考えられないぐらい「フレンドリー」な態度だったらしい。どれだけ私がかつて社会に適合できていなかったか、そのとき思い知らされた。

かつてはいわゆる「社会の常識」に反感を覚え、社会の歯車の一つとなることを拒絶していたつもりだったが、今は毎日ネクタイという社会に従属している証である首輪を巻いて、自ら社会の歯車であることを誇示するようになってしまった。そんな今でも昔の性癖が抜けず、自虐的に「引きこもり営業」と称して会社から出て行かないときも少なくないのだが。

今でも自分は営業に向いているとは思っていない。会社ではトレーダーになりたかった。自分でリスクを判断し、その判断の正否は他人ではなく、マーケットが答えを出してくれる、そんな環境を望んだ。トレーダーのポジションをオファーされることが何度かあったが、ことごとく上司がその機会を潰してしまった。サラリーマンの世界では、上司は必ずしも部下の適性や幸福を考えてくれているわけではないことを理解するまで暫く時間が掛かった。就職活動に来ている営業志望の学生に、なぜ営業をやりたいのかたずねたら、「私は人と会うのが好きなので営業が向いていると思うんです」と言われ、あたかも学生ごときに「お前は営業は向いていない」と失格の烙印を押された気がした。

子供の頃は、将来プロ野球選手になりたい、とか、宇宙飛行士になりたい、とか、F1ドライバーになりたい、とか様々な夢と希望を無邪気に持つことが出来た。今年で私も35歳。年を取るに従って、自分の目の前の選択肢はどんどん狭まっていく。最近自分は後悔しない人生を歩んでいるのか、昔自分がなりたくないと思っていた大人になっているのではないか、と自問自答する機会が多い、満開の桜を愛でる今日この頃である。

この記事へのコメント

桜とネズミ


東京も桜が咲き始めた。以下の写真は千鳥ヶ淵の3月26日早朝の桜の状況である。まだ三分咲き程度。
昨日はかなりいい天気だったので、開花が進んだかと思われたが、思ったよりも足踏み状態。今週後半から週末にかけて満開といったところだろうか。

千鳥ヶ淵を一通り見終わって、代々木公園の桜の開花状況をチェックしに行ったら、何時ものようにネズミ捕りをやっていた。
桜を撮るはずが、ネズミ捕りを撮ることになってしまった。因みにこの場所は、週末の早朝から昼前まで、けっこうな頻度でやっているのでご注意下さい。
測定方法は光電管、測定位置は地図のマーク上のところ(地図をクリックすると拡大します)。つまり、レーダー探知機は無力だということだ。

代々木公園交番前から、原宿駅方面に向かって坂を登って走ってきて、目前の信号が青だ、と思って加速すると光電管で測定されて警察官が飛んで出てきてサイン会場までご案内、というのがパターンだ。写真の光電管(道においてある小さな反射鏡のようなもの)は道の南側にあり、二つの光電管の間の通過速度を計測する係が道の北側に座っていて、違反車両がいたら数十メートル離れた捕捉係にブザーと無線で違反を知らせるという仕組みになっている模様。

面白いので歩道橋の上から観察していたら、一台威勢の良いVitzがおよそ70km/h程度で走ってきていて、信号に捕まって止まった時に警官に一斉に囲まれて御用となっていた。 ここはあまりにも有名なポイントのため、私が見ていた20分程度の間にはもう一台Volvoのワゴンが捕まっただけだった。
しかし、この道は極めて見通しがいい上、歩道と車道が植え込みによってきちんと分断されているため、事故はほとんどなく、ここでスピード違反を捕まえることが効果があることなのか、正直言ってかなり疑問である。スピードを出させないための抑止力としての取り締まりという意味においてもあまり効果があるようには思えない。捕まっても、運が悪かった程度にしか思えないだろう。

この記事へのコメント

車購入後の顧客満足について考える

先日お伝えしたとおり、ポルシェが足回りのリフレッシュを終えて帰ってきた。総費用は50万円ほど。なかなかの出費である。
この出費が惜しいわけでもなんでもなく、剛性感の向上は掌に伝わってくるので満足しているのだが、しかし考えさせられるものがあった。

10年間酷使されたサスペンションを交換したのなら、どの程度10年間で経年変化したのか、ショックアブソーバーは抵抗を完全になくしてしまっていたのか、フロントサスペンションから異音がしていた理由は何なのか、ブッシュの弾力はどの程度失われてしまっていたのかなど、とても知りたい。アライメントもどの程度狂っていたのかにも興味がある。

残念ながら、たまたま担当のメカニックがいなかっただけかもしれないが、ポルシェ目黒では作業伝票を見せてくれただけで、特に説明らしきものはなく、その場でクレジットカードの請求額が50万円ほど増えただけだった。

最近は医者でも丁寧に薬の効用について説明してくれるし、機械式の時計をオーバーホールに出したら交換した部品を修理のときに見せてくれる。どんなに腕のいい医者でも、「どこが悪かったのか」「どういう治療方法をとっているのか」などの説明がないと、私は自分の体を預ける気にはなれない。
例えばポルシェで、状態を確かめてからではなく4000km走行毎に機械的にオイル交換をしているとしよう。交換時に、粘性が落ちて焦茶色になってしまっていたオイルが、蜂蜜のような色のオイルに変わったのを真っ白なタオルで見せてもらったら、何となく嬉しい気はしないだろうか。

所謂実用車であれば、極端な話トラブルなく動けばいいわけであって、特に交換した部品についての説明などは必要ないと思うが、ポルシェは明らかに実用性だけで買い求める車ではない。(もしかしたら私だけが時代錯誤なのかもしれないが)
そう考えると、修理を依頼した顧客に対して、どこがどう悪かったのか、どのような対策が採られてどうよくなったのかを説明してもらったほうが、顧客満足度は間違いなく高い気がする。

ポルシェジャパンが一年に輸入できる台数が所与のものとなっており、新車販売からの収益の天井が見えているのだとすれば、ディーラーの収益を最大化するにはアフターサービスからの収益性を向上することが不可欠であろう。手間かもしれないが、修理・交換箇所の顧客への説明をきっちりと行えば、少々ディーラー整備の値段が高かったとしてもプレミアムを払う顧客は多い気がする。何でも三越の外商で買ってしまうような大金持ちばかり相手にしているのであればこんなことを気にしなくてもいいのかもしれないが、少なくともポルシェは車そのものに興味がある顧客の割合が高いはずだ。

例えばガレージクレヨンのHPには、買い入れた車に納車整備を行う模様が、事細かに説明されている。こうやってエンジンばらしてバルブにこびりついたカーボンを落としてから販売しているのか、とわかるだけで、買うほうは大変安心感がある。
同様のことが、アフターサービスにも言えるだろう。私がディーラーの経営者だったら、少なくとも修理作業中に何枚かデジカメで写真を撮って、修理完了時に顧客に対して修理内容を説明することを徹底する。勿論、交換された部品を見せ、リフトアップして対策について説明できれば最高だが。そうすることによって、顧客は「少し高いかもしれないけれどわざわざディーラーに整備に持ってきて良かった」と思うはずであろう。

景気が回復してきているので、営業努力をしなくても車は売れていくのかもしれないが、少しでもポルシェオーナーの満足度を高めるようなサービスを行っていって欲しい。鮨屋のカウンターに座るとテーブル席よりも高いが、満足度も高いのと同様に。

この記事へのコメント

Santo Spirito(目黒、イタリアン)

目黒雅叙園の前に、ひっそりとSanto Spiritoというイタリア料理の店がある。派手な看板も出ておらず、地下に降りていく入り口は見過ごしてしまいそうだ。
近所に住む会社の後輩からその存在を教えてもらった。

生ハムとモッツァレラをつまみに飲み始める。
アスパラガスのグリルの半熟卵とパルミジャーノがけ。
最近酔っ払うと全くワインの銘柄が思い出せないのだが、勧めてもらった白ワインは切れ味が良く、前菜とよく合う。
イカ墨のパスタにホタルイカと春野菜をあわせたもの、フェトチーネに緑のトマトを絡めたものを頼む。イカ墨のパスタとホタルイカ、というとおにぎりをおかずにご飯を食べているかのような感じだが、そら豆などの野菜がカラスミの塩味とオリーブオイルになじんで旨さが引き立つ。緑のトマトはぱっと見、しし唐のようだが、甘くてさわやか。

クロムツの香草焼きも、皮はパリッとしていて中がしっとり。身がしまっていて旨い。これもレモンとオリーブオイルをつけて食す。
エゴマ豚のグリルは、脂身のところまでしっかり旨みが詰まっている。塩コショウとレモン、という極めてシンプルな味付けが、肉そのものの味を引き立てる。付け合せの野菜も秀逸。 赤ワインもお任せしたら、これもボディがしっかりして果実実が強く旨かった。

食後に自家製のリモンチェッロをいただいた。レモンをシロップ漬けにし、ウォッカで割って5日ほど寝かせるという。なみなみと注いでもらったら、一気に酔いが回ってしまった。

食材を食べる前に持ってきて見せてくれるというAppiaと同じようなスタイル。食事もワインも、オーダー前にいろいろと相談して決められることをおすすめする。 散々食べて飲んで、一人15,000円行かない程度、お勧めできる内容だった。

この記事へのコメント

毎年恒例のアンコウツアー敢行

2月の終わりから3月初めにかけては、我が家で毎年恒例となっている、あの行事がやってくる。毎年結構楽しみにしている例の行事だ。
なんて勿体ぶっていうほどのものではないが、水戸で梅祭りを見てアンコウを食べる時期がやってきた。

昨日ポルシェがせっかくサスペンション交換から上がってきたばかりというのに、腰が痛くて水戸まで150km弱の距離を行くのにジャガーを選んでしまった私は、一体ポルシェのHPのウェブマスターと言えるのだろうか、と自問自答しながら常磐道をオートクルーズして超楽チンでご満悦だった。
最近買い求めたGPSレーダー探知機のお世話になりながらオートクルーズしていると、神経を研ぎ澄ませながら運転する事を強いられていた昔が嘘のようだ。

話は逸れるが私がイエローハット青葉店で3万円弱で購入したGPSレーダー探知機は本当に優れもの。ポルシェに装着しているものはレーダーしか探知できないが、GPSのお陰でループコイル式対策もばっちり。近くにパトカーがいると警告してくれるので、一年前の湾岸線での不幸な出来事も、避けられたかもしれない。ただしジャガーはキーを抜いた状態ではシガーソケットに通電していないので、フル充電できるまで時間がかかるのが玉に瑕だが。

自宅から1時間半ほどで偕楽園に着き、南側の駐車場に車を止める。梅はまだ一分咲き。しかし仄かに梅の香がするなあ、と鼻をくんくんいわせるが、遠くからイカ焼きの匂いがしてきて雰囲気ぶち壊しである。たこ焼きでも、焼きとうもろこしでもなく、イカ焼き。
途中で黄門様ご一行に扮した人たちと写真が撮れるというのをやっていて、興味津々だった。水戸黄門、助さん、格さん、うっかり八兵衛、風車の弥七、由美かおる、悪代官、越後屋に囲まれて記念撮影、という企画に、黒山の人だかりだった。(いうまでもないですが一部作りました。)

園内の好文亭という、庭園の中の迎賓館のような威風堂々とした和風建築を見学。好文というのは、「勉学に励むと花が咲き、勉学が廃れると花が枯れる」という中国の故事から来ていて、梅のことを指すという。

梅の花には早かったものの、偕楽園を満喫した後に、本日のメインイベントであるアンコウ料理を食べに行くことにした。

これまでは山翠魚誠へと出かけていたのだが、今回は水戸大工町での威張り度ナンバーワンの山口楼に行くことにした。創業明治5年の立派な料亭である。
昼食を食べ損なったので、当初6時に予約していたのを4時からに変更してもらった。梅祭りの時期は通しでの営業で、メニューもアンコウのコース(税サ込み7500円強)しかないという。私にとっては何の不服もあるわけがない。時間が早かったこともあって、通された座敷は宴会が出来る広さだったが、他に誰も客がいなかった。
これまで水戸で食べたアンコウ鍋は、焼き味噌にあん肝を練りこんだものを出汁に入れて味わうものが多かったが、山口楼のアンコウ鍋は写真でもお分かりの通り醤油味の澄まし汁仕立て。
柚子の香りが華やかな上、独活などが入っていてアンコウの味を爽やかに引き立てる。アンコウの身は淡白だが、ゼラチン質が強い唇の周りや、あん肝などを食べるとねっとりとした食感との対比が楽しめる。さっぱりとした味の出汁だったので本来のアンコウの味を邪魔することなく、おいしく頂戴した。最後に雑炊を作ったのだが、これもまた旨い。散々鍋を食べたのに、3回も雑炊をお代わりしてしまった。

これまでの水戸でのアンコウのおすすめは魚誠だったが、今の一押しは山口楼。しかし梅祭りの最中の日曜日にもかかわらず、平らげるまで他の客が一人も来なかったことに驚いた。時間が早かったせいかと思ったのだが、車を置かせてもらったまましばらく散歩して7時前に店に戻ると電気が半分落ちてひっそりしていた。早く車を取りに行かないと、店に迷惑になると思って慌てて戻ったのだが。日本の景気回復はもしかしたらまだ力強さが足りないのかもしれない。

この記事へのコメント

飛行機から見る景色とそれに触発される思い出


ロンドン行きの飛行機の中で、離陸してから15分ほどして、前の席のイギリス人と思しき人が隣の友人らしき人に「富士山が見える、富士山が見える」と話しかけていた。ふと見ると、ちょうど飛行機の高さと同じぐらいに富士山頂が見えた。
冠雪していてとても美しかった。前席のイギリス人に、自分が昔ここに登ったことを自慢したくなった。暫くすると、眼下に日本アルプスが見えた。昔登った3000メートル級の山がたくさん見える。冬山は、登ると大変な危険が待ち構えていて、ちょっとやそっとでは人を寄せ付けない荘厳さがあるが、飛行機から見ると、神がもたらしたただの美しい造形物にしか見えない。日本にも、こんなに素晴らしい景色があると本当に誇らしく思えた。

最近は全く山登りに行かなくなってしまった。大学を出て初めて勤めた会社には、「登山部」のようなものがあって、夏になると週末山登りに誘われたものだ。冬山は流石に危険なので、よくよく準備しないと登れなかったが。
6年近く前の成人式の連休に、秩父から多摩までを縦走した。二日で40km程度歩く、かなりの距離の縦走だった。埼玉県から東京都までだからといって舐めていたら、距離の長さに打ちのめされた。日本百名山の一つ、標高2017mの雲取山の頂にある山荘に一泊したのだが、やせっぽっちの私は寒さに骨の髄までやられ、震えが止まらなかった。練炭の焚いてある小さな炬燵にみんなで足を突っ込んで雑魚寝するのだが、私はダウンジャケットを着たまま、このまま寝ると凍死するのではないかと慄きながら就寝したのを思い出す。ちなみに炬燵の上に置いたミネラルウォーターは、山荘内だというのにばきばきに凍っていた。夜中トイレに行きたくなり、意を決して炬燵を抜け出して屋外のトイレに向かったときの、満天から地上に注がんばかりの、とてもたくさんの星を見たことを忘れることは無いだろう。埼玉県の山中で、カモシカを見たことも忘れられない。

夏山でも危険な目にあったことがある。北アルプスの山(どの山か忘れてしまったが)に登りに行って、大雪渓を登っているうちに霧が出て迷ってしまい、登山道から外れてどんどんと急傾斜を登って行ってしまった。夏山だったので、四本爪の簡単なアイゼンしか持っていなかったので、45度ぐらいある傾斜から足を踏み外して、100mぐらい滑落した。滑落の途中、必死でピッケルに体重をかけて何とか踏みとどまろうとしたのだが、全く止まらず、落ちていく中最悪の事態を覚悟した。当然ヘルメットなどしていない。しかし偶然にも雪がなくなっている穴に落ちて止まった。本当に死ぬかと思った瞬間だった。
飛行機から景色を眺めているうちに、昔の思い出が頭の中をたくさんよぎった。でも懲りずにまた山登りに行きたいと思う。誰か誘ってください。

全然関係ないが、JALの国際線機内販売で、芋焼酎の森伊蔵が3000円で手に入ることはあまり知られていないのではないだろうか。インターネット通販では、19,800円でも売り切れと出ている。帰りの機内販売では売れ残っていた。荷物が重かったせいで一本しか買い求めなかったが。3月限定だと思うので、お早めに。

この記事へのコメント

ロンドンからコッツウォルズまでドライブ



イギリスで車の運転をするのは初めてだ。借りた車はルノーのセニック。1.4ℓのマニュアル、というかなり渋い車だ。この車、結構変わっている。インパネの形状もVitzのようにメーターパネルがインパネ中央に位置しているし、カードキーを挿入してエンジンスタートボタンを押してエンジンを始動させる仕掛けになっている。左ハンドルのメーターパネルをおそらくそのまま右ハンドルにも流用しているので、写真でも分かるかもしれないが水温やガソリン残量、エンジン回転数のような重要な情報がドライバーから遠いところに表示され、手前の見やすいところにはラジオの周波数や時計が表示されるという何だかおかしなことになっている。

1.4ℓなのでパワーはないが、1速から結構トルクが太いので、実用にはまったく問題ない。3速に入れたままアクセルを離した後に踏み込んでも、イライラさせられることはなくしっかり加速する。しかし流石に時速80マイル超からは踏んでも踏んでも前に進まず、一番右側の車線を走るには力不足だった。

目的地はWarwick。ロンドンから2時間ほど走る。カーナビが普及していないため、不慣れかつトリッキーなロンドンの市街地を抜け、M4→M25→M40を走って15番出口で高速を下り、そこから20分ほど走った街へ向かう。このHPのご縁で知り合ったKさんのご自宅を訪れるためだ。
前日朝6時に起きて、慌ててパッキングをして8時に家を出、12時間飛行機に乗って午後4時にヒースローに着き、入国審査に1時間以上かかり、さらにタクシーに乗って1時間以上かけてホテルまで辿り着き、70ポンド(約1万4千円)の料金に目が点になり、午後7時過ぎにチェックインした後調子に乗ってSohoに食事を食べに行き、真夜中過ぎにベッドに入って6時過ぎに起床し、地下鉄に乗って8時のレンタカーピックアップに出かけ、というとんでもない過酷なスケジュール。まあ自業自得か。


イギリスのサービスエリアは充実していた。スターバックスのようなコーヒーショップがあったり、Marks & Spencer(ちょっとおしゃれなスーパー)があって食べ物が売っていたり、ゲームセンターがあったり、充実したキオスクがあったり、立派なレストランがあったり。M40は最近出来た路線のため、特別なのかもしれないが、おしゃれ度は日本より相当高い。アウトレットモールにあるフードコートのようだった。


K氏に教わったのだが、コッツウォルズは、産業革命時に鉄道が引かれなかったために古き良き英国が残った地域らしい。つまり、交通の便が不便だということだ。従って観光客が交通公共機関で訪れにくいのも必然。
K氏の運転するEクラスの助手席に乗せていただき、コッツウェルズに近づくにつれ、家並みがどんどん蜂蜜色になってくる。恐らくこの地域で取れる砂岩が柔らかい黄色をしているために、石造りの家並みが何とも優しい色になっているのだろう。
ここにある写真は市街地の写真で、田園風景を撮ったいい写真がないので残念だが、丘陵地でゆっくりと牧草を食む羊の群れがいて、目下には小さな家が点在し、遥か彼方には地平線が広がる。太陽は少し雲に隠されてしまっているが、雲の切れ目からはこれもまた蜂蜜色の陽射しが地面に降り注ぐ。初めて来たのに、なぜか懐かしくなる不思議な風景。でも一度も見たことは無い。
こちらの羊は、顔と足首が黒い、ウォレス&グロミットに良く出てくる羊だ。なんだかのどかな顔をしているので、こちらものどかな気分になってくる。馬が毛布みたいな布をかぶせられて悠然と草を食んでいて、産業革命以前と恐らく何も変わらない光景というのがあちらこちらで見られる。



古い教会に連れて行っていただいたのだが、こちらもハリーポッターに出てきてもおかしくないような建物だった。
元気であれば自分の足でいろいろ歩いてみて、たくさん写真を撮れたのかもしれないが、さすがに前述したようなハードなスケジュールで訪れたものだから、夕方が近づくにつれてどんどん睡魔に襲われて、最後にはK氏の運転する車の助手席でうつらうつらしてしまう始末。でも今度また来るべき土地を駆け足で見られた、という意味ではとても意義深かった。

そういう意味で帰りのドライブ単独行は相当きつかった。日本ではほとんどそんなことにはならないのだが、サービスエリアで仮眠を二度も取って、ふらつくハンドルを押さえながら何とかロンドンまで辿り着いた。Victoria Coach Stationの裏にあるEuropcarの駐車場に車を置いて、Canary Wharfのホテル四季に着いたときには11時を回っていた。でもこれに懲りずまた来ようと思わせるだけの魅力が、コッツウォルズにはあった。

この記事へのコメント


2006年2月の日々雑感へ

2006年4月の日々雑感へ

Home


私が心動かされた本 マークスの山


私が心動かされた本 照柿


私が心動かされた本 敵対水域


私が心動かされた本 権利のための闘争


水戸黄門名作選 由美かおるスペシャル
(念のためですがネタです)


THE FERRARI「闘う跳ね馬」BATTLE決闘史