11月は憂鬱な月だ。というのも、会社の会計年度が11月で終わるからだ。12月からまた新しい一年が始まる。ゼロからのスタートだ。お蔭様で今年は自分のキャリアの中で最も成功した年だったが、その裏返しで来年のプレッシャーは見えない形でずっしりとのしかかってくる。
今年いくら儲かったとしても、来年儲かる保証はどこにもない。もうこの業界に入って十年以上が過ぎたが、毎年この時期は本当に気分が重い。
査定は既に終了していて来月中旬のボーナス発表を待つのみ。前いた会社ではボーナスの額を上司に言い渡されたその場で泣き崩れた女性や、そのまま会社に二度と帰って来なかった人、上司と大喧嘩する人たちなどがいたが、今の会社の人はかなり大人し目だ。しかし今年は個々人のボーナス額に「めりはり」がつくらしいので、例年よりも大荒れになるに違いない。来年入ってすぐにボーナスが自分の銀行口座に振り込まれた途端に会社を去る人がたくさん出るかもしれない。この業界に不可避の、季節の風物詩のようなものなので致し方ないのだが。
大概の方はご存じないと思うが、われわれの業界は基本給(いわゆる毎月の給料)と年末のボーナスの比率が通常の日本のサラリーマンとは全く異なる。日本の会社だと基本給に対してボーナスは6月と12月に分けて払われ、それをあわせても基本給一年分の三分の二程度かもしれないが、われわれは一人前になると、どんなに少なくてもボーナスが基本給一年分を下回ることはない。通常のパフォーマーだと2,3倍程度だろう。もちろん全額現金で支払われるわけではなく、一部は株で支払われたり(それも数年間売却制限付きの)、税制面で優遇されるために退職金の一部として積み立てられたりするのだが。
したがってボーナスの額の発表とその多寡は、年に一度の一大事だ。額がいくらなのかで会社が自分にどれだけコミットしているのかというメッセージが伝達される。極端なケースでは、ボーナスゼロというケースも当然有り得る。会社が「自発的に辞めてくれ」というメッセージを発する場合だ。クビにするにはコストが掛かる(通常は基本給一年程度のパッケージをオファーする)ために、自分から辞めていくように仕向けるという訳だ。さらにこの時期は他社から「いくら払うからこのポジションで来ないか」というようなオファーが来る時期なので、自分の会社からの提示額と、他社からの提示額を比較することとなる。まあ分かりやすく言うとプロ野球でFA宣言した後の選手のようなものだ。成功する人もいれば、業界を去る人もいる。体を壊したら来年雇用契約が更新される保証は無い。引退したら誰でもちゃんこ料理屋が開けるわけでもない。
給料を貰いすぎるのもまた、高所恐怖症的に恐ろしいことだ。というのも大抵4年から5年に一度、予期していなかったとんでもない出来事が経済を襲う。94、5年の米国金利の急上昇、98年のアジア危機、2002年の米国ITバブルの崩壊などなど。そういった時にはコスト削減の掛け声の下、人件費の大幅引き下げが行われ、高い給料を貰っていて実績が上がっていない、あるいは将来性が認められないと判断された場合は真っ先に解雇対象者リストの上位に自分の名前を発見することとなる。これも掟なので仕方が無いことだが。 というわけで身の程を外れた給料を貰うことは、将来のリスクをいたずらに高めることになるケースもある。まあいつまでこの業界で働けるかは神のみぞ知ることなので、貰える時に貰っておけ、という考えの方が将来を心配するよりも建設的かもしれない。辞めさせられるときに貯金の中から金取られるわけじゃないし。
プロ野球選手の年俸闘争をスポーツ新聞が面白おかしく書き立てるのが毎年恒例になっているが、あれもひどい話だ。われわれは絶対的な金額の多寡も当然気にするが、自分の評価が他人と比べてどうだったのかをかなり気にする。だから、自分よりも働きが少ないと思われる同僚が自分より高いボーナスを手にしていることが分かったりすると、会社の自分に対する評価に不満が募り、結果高い評価をくれる他社に移籍することになったりする。
したがって、そのようなことを避けるために、自分がいくら貰ったのかは絶対口外するなと会社から言われる。だから、テレビでプロ野球選手に対して「今年は大台行きましたか?」などという質問を記者が発したり、「年俸1億8千万円(推定)」などと書かれたりしていることは、極めて不思議なことである。「あいつがこんなに貰っているのにどうして俺はこれだけしか貰えないんだ」という不満が爆発することは有り得るはずなのに、発表するメリットが分からない。子供の夢のためか???自分から2億円の宝くじに当たりました、と宣伝して歩くようなものにしか思えないのだが。
まあ、いずれにせよなるようにしかならない。心配してもしょうがない。来年は何か意味のあることを達成して、また最高の年になればいい。だめならだめで、この商売に別に未練があるわけでもなく、生活水準を身の丈に合わせて調整すれば良いだけのことだ。高い給料貰っているから自分は偉い、と考えているこの業界の勘違い野郎が如何に多いことか。世の中のためになっている偉い人が高い給料を貰えるのは自然なことだが、たまたま何かの間違いで高い給料を貰っているからといって自動的にその人が「偉い人」になるわけじゃないのに。ベンツ乗っているから、ポルシェ乗っているからお前は俺に敬意を払って道を譲りなさい、っていうのが大間違いなのと同様に。 社会の役に立っている人が、その行為の対価としてお金持ちになる、というのは理解できるが、たまたま何かの間違いで社会の役に全く立っていないが金を持ってしまっている人間が、他人に対して敬意を払えと強要するのは見苦しい。
若かった頃と違って「ボーナス払われたらあれを買おう、これを買おう」という気持ちがあまりなくなってきてしまった。大抵の欲しいものはいつでも手に入るようになってしまったからだろう。自分の身の丈を知ることと、自分の欲望にどれだけ素直になるのか。そのバランスはきわめて難しい。かつてENGINEのスズキ編集長が、F430の試乗記に、「凡庸な日常に満足するな!」と書いていた。すなわち、自分の車で今満足している、と思っても、フェラーリの最新の8気筒エンジンをぶん回して走ると、これまで自分が満足していたものはいったいなんだったのだろう、と思えるということだ。自分の身の丈を自分で低めに設定すること=凡庸な日常に満足していることだとすると、今の自分の考えは間違いなのかもしれないが。
初めてダラスに来た。ダラス・フォートワース空港の大きさは何とマンハッタン島よりも大きいらしい。広大でフラットな土地が広がっていて、今まで見た西海岸や東海岸とは全く違う光景。
私はStevie Ray VaughanやAllman Brothersなどのテキサス出身のミュージシャンのファンなので、一度テキサスに来てみたかったのだが、どうやらダラスは思っていた感じの都市ではなかった。つまり、何もないのだ。
ホテルは何もないところにぽつんと建っていて、チェックインしても何もやることがない。仕方がないのでダウンタウンまでタクシーに乗って出かけた。およそ20分、25ドル程度。日曜日の夜だったので、コンシェルジュに「昔の友達が訪ねて来たときに飲みに連れて行くようなところを教えてくれ」と言ったら、「Deep Ellumに行け」といわれたので言われた通りにした。想像していたのは、六本木とは言わないまでも賑やかなところだったのだが、実際には真夜中の竹芝桟橋みたいなところだった。つまり、暗くて人影が少なく、倉庫街のようなところ。
タイから来たというドライバーが下手な英語で一生懸命「この通りから外れると危険だから絶対外に出るな」という。レストラン、バー、クラブと、刺青屋がまばらにネオンを光らせている。どんなところか文章で説明するのは難しいので、写真を載せたいのだが、カメラを鞄から出すのも憚られる位緊張を強いられたので勘弁して欲しい。NYのクラブで朝まで遊んだり、ロスのマリファナ臭いバーで酒を飲んだりしても何とも思わなかったが、久しぶりに体の中で警戒警報が鳴り響いて神経を研ぎ澄まさせられた。
あまりうろうろしても危険なので、目に付いたレストランに入ってウエイティングバーでフットボールを見ながら何本かのビールを時間をかけて飲んだ。1時間ほどいただろうか、タクシーがたまたま客を降ろしているのが目に付いたので慌てて捕まえた。乗り込んでドライバーに「久しぶりに恐ろしい思いをした」と言ったら、降りた客(もちろんアメリカ人)も5分ほどの距離を歩くのが危険でタクシーに乗ったという。自分のアラームの反応が間違っていなかったのでほっとした。
帰りがけにハイウェイに乗る手前で、タクシードライバーが「ここがJFKが暗殺された現場だ」という。オズワルドが米国史上初のアイルランド系カソリック教徒だった前途有望な大統領を狙撃したビルは、本当に何の変哲もないハイウェイへのアプローチに面したしょぼい四角のコンクリートの塊で、こんなところで死ぬのは嫌だなと酔いの回った頭で薄ぼんやりと思った。
翌日のミーティングは無事に終了し、先方の招待で巨大なテーマパークのようなコンプレックスの中にあるステーキハウスに連れて行ってもらった。テキサスのステーキは全米一だと聞いていたので期待で胸が高まった。ここのスペシャリティーは何か、とウエイターに聞いたら24オンスのカウボーイリブアイだというのでそれを注文したら、電話機ほどもあるステーキが出てきて驚いた。隣の人はフィレミニョンをオーダーしたのだが、高さが4インチ以上はあろうかという大きさ。味は大したことないのだろうな、という先入観は見事に裏切られ、リブアイはジューシーで柔らかく、脂がきつくないので思ったよりも量を食べられた。脂身の部分が旨くて、かなりいい肉だった。あと2ヶ月ぐらいは肉を食べなくても生きていけるだろう。(アペタイザーとサラダを食べていたこともありもちろん完食できず。一緒に行ったアメリカ人も残していたのでほっとした。)
食後にバスケットのコートが4面は取れるかと思われるようなスポーツバーでマンデーナイトフットボールの鑑賞。東京ドームのオーロラビジョンのようなスクリーンに試合が流れていて、みんな大騒ぎしながら応援している。もちろんテキサスカウボーイズの試合である。残念ながらアウェイなので、現物を見るわけに行かなかった。どこに行ってもテキサスのシンボル、ローンスターが飾ってあった。
テキサス出身の人に聞くと、ダラスはやはりビジネスの街で、どこか一つだけテキサスで行くべき場所を選べといわれるとオースティンだという。オースティンは小さな街だが、カリフォルニアのようにレイドバックしていて(NYのせっかちな連中になれた身としてはダラスでも十分レイドバックしていると思ったが)、若者がたくさんいて音楽も盛り上がっていて面白いらしい。今度また車で時間をかけてサンディエゴあたりからテキサスまでドライブしてみたいものだ。
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