日々雑感 2004年9月
屋久島、鹿児島ツアー
なんだか分からないが色々なことがあった一ヶ月だったので、9月の日々雑感を、10月になって書いている。
秋は連休が多くていい。ゴールデンウイーク以来の休暇をとって、リフレッシュするために屋久島に行った。屋久島は昔から興味があったのだが、とても遠いところだというイメージがあってなかなか気持ちが動かなかった。しかし書店で新潮社の「旅」という雑誌が目に入り、美しい水の流れと天空に向かって聳え立つ屋久杉、木に蒸す苔や海に鏡のように映る月など、極めて幻想的な写真が載っていたために心惹かれ、連休の直前に休暇をとることにした。
遠いと思われた屋久島だったが、羽田を朝8時に発つと10時半には屋久島空港に降り立つことができる。悪くないではないか。しかし今回はついでに指宿に行って開聞岳を見たくなり、鹿児島空港から車を借りて指宿に行き、茶碗を伏せたように見事な形をした開聞岳を眺めて温泉に浸かり、高速船で指宿から屋久島に渡ることにした。より正確に言うと、屋久島の宿が連休前で取れなかったために昔から見たかった開聞岳を見に行くことにしたのだ。
鹿児島空港でサニーを借りた。アメリカ人に言わせると、日本車の名前の中で最も外人にとって笑える名前の車がサニーだそうである。「日当たりの良い」車だから、ワイパーは要らないよね、といって一緒に笑った記憶がある。9万キロも走ったサニーは退屈だったが、鹿児島市内まで小一時間ドライブするには十分だった。車のHPで話題にするには、何とも冴えない車だったが。
鹿児島ではあぢもりという黒豚のしゃぶしゃぶを出す店に行くことにした。私はしゃぶしゃぶは牛よりも豚のほうが淡白で好きなので、かなり楽しみにしていた。とんかつマニアとしてはしゃぶしゃぶととんかつどちらにしようか相当悩んだのだが。
あぢもりは濃い目のだしを張った鍋に鹿児島産の黒豚をくぐらせ、溶いた地鶏の卵をつけて食べさせるという、東京では見ないしゃぶしゃぶの店だった。店の入り口ではタレントが来店したときのビデオが延々流れているという、典型的な「名物料理の店」だったが、しゃぶしゃぶはとても美味。だしが濃いので豚の味が分からなくなる気がしたが、かみ締めると甘さと適度な繊維の感触が絶妙だった。地鶏の卵もとても新鮮で旨い。ただし黒豚を食べ比べたわけではないので、地元の人がどう思っているかは分からなかった。地元のお客さんと見られる人は少なく、観光客が多かった気がする。
鹿児島市内をぶらぶらしたが、地方都市の中では活気を感じた。かつて訪れて全く活気を感じなかった秋田や佐賀に比べると、若い人も多く、新しい店もたくさんあって気持ちが良かった。腹ごなしを終えて指宿スカイラインに乗ることにした。今月は裏磐梯といい、指宿スカイラインといい、ENGINEのグランドツーリング特集のFollowerになった気がする。ただし、9万km走ったサニーが相棒だが。
しばらく高速を走ると指宿スカイラインに出た。部分的に若干舗装が悪いところがあるが、イメージは伊豆スカイラインとよく似ている。山の上から鹿児島市街が望めるところなど、伊豆スカイラインから沼津の街が見えるのとそっくりだ。サニーなので全力で攻めるわけにも行かず、前の車について走っていたらどんどんと眠気に襲われてきてしまった。愛車でまた訪れたいものだと思うが、九州の南の端までドライブしていく元気は相当リフレッシュできない限り湧いてこない気がする。
指宿はいいところだった。最初の数泊はいわさきホテルに泊まったのだが、こちらは何というか、大量の観光客をいかに効率よく捌くかというコンセプトで作られているような気がして、ちょっと違和感を持った。いつもはもっとこじんまりした宿に泊まることが多いからだろう。しかし、大隅半島の山際から登ってくるご来光を見ながら入る露天風呂は格別だった。
また、初めて砂蒸し風呂というのを体験したが、これがなかなかのものである。ご存知の通り全身を埋められて、15分から20分ぐらい砂の中で唸る、というものなのだが、砂の重みと、全身を蒸しタオルで包まれたような独特の感触で、苦しいのだが気持ちよいのだ。地熱を有効活用しているわけだが、砂蒸し用の浴衣を着ておじさんにスコップで生き埋めにされていると、汗がとめどもなく吹き出てくる。砂浜の上で海を見ながら蒸されるのかと思っていたが、そうではなくて屋根があり、周りも囲まれているので、オープンカーに乗っている気分ではなく窓の開いた普通の車に乗っているような状況。冷静に考えてみれば、大勢の人の体から出た大量の汗がしみこんだ砂を体の上にかけてもらっているようなものに違いなく、そう考えるとなんだか汗臭い温室の中で生き埋めにされている、と考えられなくもない。ただし砂蒸し温泉の名誉のために言っておくと、ある程度のインターバルで砂にジャブジャブに水を注ぎ込んで綺麗に洗ってから使っているので、念のため。
開聞岳は、昔から妙に気になる山だった。本当に綺麗な形をしていると思う。薩摩富士、といわれるが、緑が綺麗なので私の中では富士山とはイメージが一致せず、どちらかというとアイルランドのエメラルド色に染まった島のイメージに近い。アイルランドには行ったことがないのであくまでも写真で見たものや想像に過ぎないのだが。高校時代に、何かの弾みで「一番好きな山は開聞岳だ」とぽろっと口にしたら、野球部の顧問がいきなりやってきて私の手を握ったのでびっくりすると、彼はこの緑に包まれた手作りの茶碗を伏せたような山を毎日見ながら育ったのだそうだ。本当は山頂まで登ってみたかったのだが、屋久島で登山をすることを考えていぶすきカントリークラブでゴルフだけすることにした。カシオオープン開催のトーナメントコースで、まるでカパルアでゴルフしているような感じだった。ちなみに開聞岳は標高924m、3時間ほどで登れるそうだ。
指宿いわさきホテルでは夕食付のプランにしなかったので、晩御飯は指宿駅のほうに出かけて取るようにした。一日目は地元の若い人が多く来ている居酒屋で食べ、二日目はさつま味という老舗で食べた。やはり地酒はうまい。知らなかったのだが、本場鹿児島では焼酎は基本的にお湯割で飲むものらしい。ストレートないしはロックで飲むのが通なのだと思っていた。黒じょかという、黒薩摩の焼き物で急須に似た形のものに、前日から芋焼酎と水を入れておき、なじませたものをお燗にして飲むらしい。親しい友人が来る前日には、うまい酒を飲むため仕込んでおくのだそうだ。さつま味で飲んだ焼酎が余りにまろやかで、危険なほどすいすい飲めたのも、どうやらそのせいだった。黒じょかは、中を洗ったらいけないそうである。水しか入れなくても焼酎の香りがするぐらいに毎日毎日使い込むと、おいしいお湯割ができるのだそうだ。鹿児島の黒豚の骨付きの煮物や、さつま揚げ、新鮮な魚の刺身など、いろんなものがおいしかった。タクシーの運転手さんも地元で一番の店だ、といっていたし、実際地元の親父さんたちが祝い事で盛り上がっていたので、観光客向けでもあるが地元にも愛されている店だということがわかった。

白水館というところでもう一泊した。こちらは指宿一かもしれないぐらい立派な旅館で、部屋も風呂も手が込んでいた。海が見える部屋からの眺めは素晴らしく、また食事の際幻の焼酎と謳われている某有名銘柄が飲めた。露天風呂の塩分の濃いとろりとした感じのお湯がたいそう気に入った。両親を連れてきてやりたいと思わせる位いい宿だった。指宿とその周りには秘湯と言われる温泉がたくさんあり、鰻温泉というところに行ってみたのだがこれもまた硫黄泉の、渋い、地元に愛されている湯だった。また、知覧まで足を伸ばし、 特攻平和会館に行ってみたのだが、多くは語らないが心を揺り動かされる体験だった。機会があればぜひ訪れてほしいと思う。
そしていよいよ指宿港から高速船に乗って屋久島に渡った。わずか1時間半ほどの船旅である。屋久島はもっと遠いものだと思っていたが、乗継がスムーズなら東京からわずか2時間半で屋久島に降り立つことができる。


屋久島に着くとレンタカーのフィットを借りた。イメージがなかったのだが、屋久島は馬鹿にならないほど広い。フェリーは宮之浦というところに着いたのだが、そこから宿の屋久島いわさきホテルまでは車で半時間ほどもかかる。島の中の交通手段が限られる上に広いため、レンタカーは絶対必要である。
サニーに比べてフィットは「今どきの車」という感じがした。車内は機能的で、圧迫感が少なく、収納のスペースも大変工夫されている気がした。またインテリアもプラスチッキーではあるが、それはむしろモダンな感じがして、安っぽくない。あまりこのクラスの車には乗ったことがないが、かつて宮崎で借りたヴィッツよりも私は好感を持った。ちなみに屋久島ではガソリンが馬鹿高い。リッターあたり140円程度。それもレギュラーで。帰りの空港に向かうタクシーの中で、運転手さんに観光客価格で高いのですか、と聞いたところ、そうではなく島民にも同じ価格なのだそうだ。車がないと生きていけない島で、どうやらカルテルが存在するらしい。
滞在最終日にホテルから空港までタクシーに乗ったのだが、なんと道すがらネズミ捕りをやっていた。隠れもせず堂々と、年老いた警察官が道路に向かってレーダーを向けていた。恐るべし交通安全週間。こんな屋久島でも取締りが行われているとは。レンタカーで空港に向かっていたら、絶対に捕まっていた。ラッキーだった。
屋久島で一番印象に残ったのが、雨と屋久杉である。屋久島の雨は凄い。どう凄いかというと、雨の迫力が半端じゃない。圧倒的な量の水が、空から滝のように落ちてくる。東京で大雨が降るのは台風の時ぐらいで、それも風を伴うが、屋久島の雨は必ずしも風を伴わない。「こんなに降って大丈夫なのか」と思うぐらいの雨が、まっすぐに降り注ぎ、いつになっても降り止まなかったりする。まるで地上の全ての不浄のものを洗い落とさんか、といわんばかりに。滝の下で白装束に身を包んで水を受ける、という修行があるが、まるで島全体が修行をしているかのようだ。傘など何の役にも立たないので、たとえば子供が登下校のときに突然大雨が降ってきたらどうするのだろう、と心配になってしまう。でも、私が心配しなくても、子供たちにとってはそれは生まれたときからそういうもので、それを逞しくあるがままに受け止めているのだろう。そして、雨は気が済むまで島の森に水を与え、人家の屋根をたたくのだが、突然気が変わったかのように上がる。そして何事もなかったかのように太陽が顔を出し、森が輝き始める。右下の写真は、モッチョム岳を写したものだが、この写真を撮る直前までものすごい量の雨が降っていた。それがここまで輝くのだ。
屋久島といえば屋久杉である。かつて江戸時代までは、屋久島の人たちは屋久杉を切ることはなかった。ものによっては縄文時代から生き続けてきた杉を、人が切り倒すことは畏れ多いことだったから。しかし江戸時代に薩摩藩の役人が屋久島に来て、税金の代わりに屋根を葺くための杉の薄板を要求した。薩摩藩の学者は、島民の屋久杉に対する畏敬の念を迷信とし、彼らを「迷信から解放した」そうだ。杉の木が切り倒されると、そこに陽射しが差し込むスペースができ、そのスペースをめぐって生存競争が始まる。切り株の上に、新たな杉が生え、森が再び生まれ変わっていく。薄板のとりにくい節の多い木は、幸いなことに生きながらえた。緑の苔に覆われた巨木を前に、何度圧倒されたことだろう。
屋久杉の表面を覆う苔を掌で押さえると、私の何十倍だか何百倍だかの時間を生き抜いてきた杉から、力を貰ったような気がした。そしてその緑から発散される濃厚な酸素と、一日に何度も降り注ぐ滝のような雨で、体の底から清められた気がした。また癒されに来たいと心から思う。
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