日々雑感 2004年5月

クラウンにおけるトヨタの勘違い

クラウンがZero Crownといってかつてのイメージを払拭しようとしている。何でもZeroからの再出発だそうで、このままの顧客層を抱えたままでは紅葉マークが標準装備になってしまいかねないかららしい。余談だが私はあれを枯葉マークだと思っていた上、うちの愚妻は「クラウンは年寄りしか乗らないから紅葉マークが標準装備なんだよ」といったら本気で信じていた。つまり、いわゆる昔からの典型的なセダンを新たに購入しようという人がおらず、不老不死の薬でも発見されない限りクラウン購入者層が絶滅していく、すなわちクラウンという車も自然消滅していくということだ。したがって今回は若い人たちに何とか乗ってもらおうとかなりデザインの面でもがんばっている。

実は私の義理の叔父が一代前のクラウンのロイヤルサルーン(この名前もどうにかしたほうがいいと思うが。「王様の客室」って?)に乗っていて、一緒にゴルフに行った帰りに運転を頼まれてハンドルを握ったことがある。常磐道をメーターを振り切るスピードで走ったのだが、非常に静かで、路面からの入力をしっかりいなすだけのサスペンションを持っていて、どっしりとした安定性で正直きわめて感心した。だからといって先代クラウンを自分で買うかというと答えはノーなのだが、BMW3シリーズに大金を払うのならばこちらのほうがいいのではないかと思わせられるほど、やはりトヨタの看板車種は違うと思った。

実は、非常に照れるのだが、新型クラウンのデザインはきわめて出色の出来だと個人的に思っている。もっというとかっちょよいのだ。しかしアスリート限定である。下手な欧州車のデザインよりも秀逸に思える。アスリートは初めてクラウンを選ぶ若いドライバーをターゲットにしているだけあって、かなり若向きの躍動感あふれるデザインである。これまではカクカクしていたヘッドライトもベンツのSクラスのデザインをうまくパクッたような複雑な形状のものになってイメージがガラッと変わったし、リアの形状はセルシオ的になった。テールランプは発光部が丸型で、まるでアルテッツァのよう。雑誌で見ているだけでは判らないのでトヨタのHPで見てみたら、これがまた極めて気合が入ったHPとなっていて、トヨタの力の入り具合が良くわかった。また、車としての出来は試乗したわけではないので判らないが、先代があれだけの出来であったことを考えるときわめて上質なものだということは容易に推測できる。つまり、一度若いドライバーに先入観なしにステアリングを握らせれば、うまくいけば購入まで持っていくこともそれほど難しくないということである。

意を決してといっては大袈裟なのだか、家の近所のトヨタのディーラーの前をジョギングで通りがかった際に屋外にディスプレーされていたアスリートをじっくり見ることにした。展示車は黒で、何とローダウンされていてオプションのエアロパーツ、アルミホイールがついていてほとんどヤンキー仕様である。時代も変わるものである。都心にあるトヨタディーラーショールームの屋外で一番目立つ場所に、漆黒のシャコタンスモークヤンキー仕様のクラウンが鎮座しているのだから。

ゆっくり時間をかけて見てみた感想。デザインではかなり欧州車を意識してがんばっているが(国内仕様のクラウン、というのではなくユニバーサルデザインを意識していた)、はっきり言ってトヨタは相変わらず「いつかはクラウン」の呪縛から抜け出せていないのだということを強く感じた。
なぜかというと、いろんなところに「あなたはクラウンに乗っているのですよ」ということを無理やり強烈に意識させる仕掛けがあるのである。

たとえば、

うちのアルファロメオにも車内でアルファのロゴであるミラノ市の紋章はいくつか見られるが、もっと控えめであり、間違っても金ぴかだったりはしない。当然ステアリングホイールとメーター部にはロゴは入っているが、例えば運転席から見えるワイパーの柄の部分にAlfa Romeoと気がつかないぐらいに書いてあったりすると、「こんなところに書いてあっても見えるのはドライバーとナビゲータぐらいではないか」とドライバーを愉悦に浸らせるぐらいの控え目度である。ポルシェもステアリング部分にクレストが押されているだけの控えめさである。

本当に若い世代をターゲットにするのであれば、ポテンシャルな購入者層は先入観なくベンツのEクラスや、BMW3ないしは5シリーズとフラットに比較するのではないかという発想にならないのだろうか。もしそういう発想があれば、車内にどでかくCROWNなどと金色でロゴを入れたりしないであろう。クラウンの様式美の世界のあまりのダサさにくらくら来て、ついトヨタの営業のお姉さんに「どうやったらすべてのクラウンのマークをはずせるのですか」と聞いてしまった。(ちなみに上記3つのポイントについてはすべて「不可」という返事だった)

私が考える、トヨタが本来狙うべきであった購入者層のターゲットは、「メルセデスでもBMWでも買えるけれど、あえて日本の車を買おうと考えるスポーティな車を好む若い高所得者層」で、「価格対比バリューの高い日本車に乗る、あるいは環境性能の良いイメージのあるトヨタ車に乗ることで自分を知的に見せたい」人たちなのではないかと思う。コストパフォーマンスでは欧州車を圧倒しているのは間違いないので。世界一のお金持ちのマイクロソフトのBill Gatesだってベンツでなくてセルシオだし。そんな人たちには「いつかはクラウン」などという発想はまったく無い。逆に「クラウンの様式美」的なものに対して拒絶反応を示す可能性のほうが高く思える。
だが、中途半端に「様式美」的な世界を展開することによって、結果としてクラウンアスリートがアピールしてしまっている層は「若造りな昔車が好きだったオヤジ」か「田舎のリッチなヤンキー」ではないだろうか。ヤンキーでもいいから購入者の平均年齢を下げたいということで、シャコタン展示車などを置いているとも考えられなくはない。それでは今回トヨタが成し遂げようとしたコンセプトは達成できないであろう。それは展示車とまったく同じクラウンが光るなにわナンバーを付けて表参道を走っていて、乗っていた人は堅気には到底見えなかったときに確信に変わった。
今回のアスリートを一言で言うとこんな感じか。おばあちゃんが孫が遊びに来たときに子供向けの食べ物を一生懸命作ろうとしてカレーを作ったけど昆布で出汁をとった蕎麦屋のカレー丼みたいなカレーになっちゃったみたいなもの。ちょっと違うか。トヨタの方、ご意見あればぜひメールを。

クラウンにおけるトヨタの勘違い(続)

週末に現先代クラウンオーナーの義理のおじに新型クラウンについての感想を聞いてみた。おじ曰く、「加速は確かにいいのだが、あのスタイリングはちょっと…。」60近いおじからしてみると、新型クラウンのデザインは「カローラの大きくなった感じ」らしい。その心はというと、どのトヨタの車も特徴がなくなって、なんとなく角が取れてどれも同じに見え、これまではクラウンはクラウンで自己主張していたのがそうでなくなった、ということだそうだ。年代によってさまざまな受け止め方があって不思議である。
すべての年代の人を満足させるのは如何に難しいか、ということだろうか。

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