東野圭吾の「白夜行」を読破し、つい最新刊の「幻夜」を購入してしまった。著者のジャンルを一言で言うと、「ノワール」ということになろうか。馳星周に代表される、DarkでViolentな世界が繰り広げられる小説である。計算高い男と女が、人を恐怖に追い込んで、その経験から来る恐怖心によって人の行動をコントロールし、自分の目的を果たす、というのが典型パターンである。読了後に読者に「これはこういうことだったのね」と納得させたり、感嘆させたり、登場人物の狡猾さを思い知らせるということを著者は狙っていたように思えるが、私にはただ不快な読了感が残った。エンジニア出身の著者が極めて精緻な計算の下に組み立てた小説だということだったのだが、私に言わせればかなり早い段階でオチが分かってしまった漫才を延々と聞かされるような小説だった。現在まだ三分の一ほどしか「幻夜」を呼んでいない状況で書評を行うのは控えるが、少なくとも「白夜行」の著者としての東野圭吾に対する世間の評価はワイマール共和国における物価の状況に近いのではないか。「幻夜」の装丁のアートワークは賞賛に値するのだが。
ゴルフの練習の帰りに、ペットショップの前をふと通りがかったら、アプリコット色の毛をしたトイプードルの子供が二匹、ディスプレーの中でじゃれあっていた。余りに愛らしかったので、しゃがみこんでずっと見ていたのだが、我慢できなくなって店の中に入り、間近で見させてもらった。男の子と女の子の兄弟だとのことである。生後およそ3ヶ月ほど。小さく真っ黒な目がとてもかわいく、兄弟が仲良く遊ぶのを暫く眺めていた。
実家にフレンチブルドッグのコパン君がいるのだが、自分で実際に犬を買おうと思ったことが無いので、どれぐらいの値段で売っているのか全く相場観が無かった。恐る恐る店員さんにトイプードル二匹でおいくらか聞いてみたのだが、これがびっくりする値段だった。合わせて100万円オーバー。ビッツを買ってもお釣りが来るぞ、デフレのこのご時勢に。男の子が若干安くて48万円、女の子が53万円とのことである。昼間は我が家に誰もいないので、飼うなら二匹まとめて連れて帰ったほうがいいのかなあなどと薄ぼんやりと考えたりしたのだが、それも値段を聞く前までの話である。
実際に自分がお金を払って犬を連れて帰る、ということを想像したことが無かったので、ようやく個人向け高利貸しの会社のコマーシャルでチワワを見て「どうするXXXX」といっているのか理由が分かった。つまるところ、犬を飼うのはとてもお金のかかることなのだが、どうしても連れて帰りたくなってしまってお金を借りるかする、ということだったのね。
車の中には余り物は置きたくない。必要なものは、ガソリン用のカード、サングラス、いくばくかの小銭ぐらいで、七人の小人のぬいぐるみやら、脱臭剤やら、携帯電話ホルダーやら、屑箱やら、クッションやら、土足禁止のステッカーなどを車内に備えるのなどはもってのほかである。(「最大積載量 積めるだけ」とか、「全長18m 死ぬ気で追い越せ!」とか「最大速度 見た目より速い」などのステッカーだとオッケーと言っている訳ではないので念のため)
私に言わせると、そもそもああいったものを車に置く人達は、公共の場において極端な場合においては人の命を奪いかねない乗り物を運転している緊張感に欠けているのではないかと思う。はっきり言ってあれは、自分の部屋にいる感覚を車の中に再現しようとする行為である。自分の部屋にいるのであれば、鼻くそをほじろうが、おならをしようが、でかい声で独り言を言おうが、ゴミ箱にゴミを投げて失敗して床に転がそうが、何をやっても自由である。しかし、それと同様の感覚を公共の場である道路に持ち込まれるのには閉口する。極めて自分勝手な運転をする人がいるが、私の経験上、車内を自宅化している人のほうが自己中心的であることが多い。やはり自分がまるで「動く自宅のコタツ」に入っていると思っているために、外界と接触している感覚が皆無なのであろう。
しかしどんどんクルマも「動く自宅のコタツ」化してきたものだ。私の車は車内でゆっくり休むこともままならないが、世の中のクルマの多くはシートが完全に倒れたり、酷いものになるとキャンプ気分が楽しめるものなどもある。コタツどころか、走るベッド状態ともいう。「日本人は何で電車の中で人前にも拘らず爆睡できるのか?」とアメリカ人に質問されたことがあるが、やはり個と社会の境界線がこの国では曖昧なのであろう。
車で走っていて気持ちのいい道は人それぞれだが、私の好きな道をいくつか紹介したい。道というと大げさなのだが、「ここを通るときスカッとするよね」という場所である。
まず、筆頭に挙げたいのが桜田門から国会正面を通って246の平河町交差点に抜ける道。あなたの信号運が良ければ、桜田門の信号から平河町の交差点まで信号待ちが全く無く抜けられることがある。桜田門の信号からアクセル全開で、国会正面の大きな交差点をタイヤを鳴らしながら右折し、数十メートル走って狭いコーナーを左折して、246まで出る。その後スピードが乗ったまま赤坂見附のS字コーナーのある立体交差を抜けて、青山で信号に引っかかる。これが気持ち良いのだ。国会正面のコーナーでは、交通量が少ないのと通りの幅が広いのとで、万万が一コーナリングでしくじってスピンするようなことがあっても自爆することも無く、他の車にも迷惑をかけなさそうなところが良い。但し間違っても横断歩行者に迷惑をかけることの無いよう。
第二位は首都高速2号線の上り、目黒から一の橋ジャンクションまで。適度な中速コーナーの連続で、ブラインドコーナーもあったりして結構スリリング。但し一の橋ジャンクションの手前のブラインドコーナーの先で渋滞しているケースもままあるので、くれぐれも追突事故など起こさないよう。
個人的ランキング第三位は、首都高速9号線。上りも悪くないが、箱崎からの下りの連続コーナーが好きである。こちらの最大のリスクは最近新設されたオービスの存在。若干ブラインド気味になったコーナーの先に最新型のオービスがあるので、光ると目も当てられない。しかしそこまでの中速コーナーとS字は脳内麻薬物質が激しく分泌されるぐらいのスリリングさ。皆さんも良くご存知のはず。
ネットサーフィンしていたら、
血液型がB型の人の特徴をあげつらったHPを発見。私は言うまでも無くB型なのだが、あまりに当たりすぎていて気持ち悪い。
昔、突然初対面の女性に血液型と星座を聞かれて、「B型の蠍座」と答えたら、「えーっ、絶対私とあわなーい」と言われた。そんな馬鹿女に合わせるつもりはこちらにまったく無いのに。
トレーダー見習いの小僧が、最近一緒に呑みに行った時に、私に向かって「年はお幾つなんですか」と聞くので「今年33歳」と答えるとびっくりしていた。若く見られると嬉しいのはおっさんになってきている証拠ではあるが、流石に小僧に27、8に見られるとショックである。何故ならば私は柄にも無く営業という仕事をしており、その都合上望むと望まざるとに拘わらず、お客様の何とか部長などという人達と話をしなければならず、そんな人達に年端の行かない若者のように思われるとまともなことを言っても話を聴いて頂けない可能性があるからである。
仕事上の服装もそれなりに気を使っていて、濃紺あるいはダークグレーのスーツしか基本的に着ないし、シャツも白以外は決して着ない。靴も黒だけである。生意気な若者に見られても一銭も得をすることは無いので、意識的に極めてコンサーバティブな格好をしている。
今日は休みということもあり、何時ものようにゴルフの練習に出かけた。無精髭を生やし、ジーンズにロングスリーブのTシャツを着てさらに普通のTシャツを重ね着し、極めてラフな格好で出かけた。練習が終わり、以前から気になっていた鮨屋が近くにあるのを思い出して暖簾を潜ると、まず一言目が「お好みしかないですが」とのこと。つまり、「兄ちゃんうちはお値段の張る鮨屋だって分かってるんだよな?」というのっけからのご挨拶である。まあ初めてのお客さんに対して気を遣って言っていると無理矢理好意的に解釈できない訳でもないので、取り敢えず聞き流すことにしたが、それ以降も失礼な事この上ない。大体そういう時は旬のタネしか頼まず、あるいは仕事振りや器を観察したりしてこちらもただの一見さんではないことを無言のうちにアピールすることにしているのだが。大して食べなかったのにも拘らずお値段はかなり上等。どうやら若造には二度と来て欲しくないと言う事らしい。頼むよ、柿の木坂のすし屋の甜八。
その後新宿に買い物に出かけ、行きつけで無い伊勢丹の店でスーツを眺めていたら、一つ気に入ったものがあった。値札を手に取って、サイズがMとLしかないのか、と思って元に戻したら、店員が「そちらは生地が特別なので値段が張りますが、こちらはリーズナブルですよ」と言って別の物を薦めてくれた。生地は気に入ったが、サイズの刻みが細かくないので色々直さなければならず買わないことにしたのだが、店員には「値段が高くて諦めた客」にしか見えなかったらしい。やはり人は見掛けで判断されるのである。