日々雑感 2003年10月
選択の自由を奪うな
あなたが東京から大阪まで頻繁にいく用事があるとする。そして仮にあなたは飛行機を利用することが何らかの理由で出来ないとする。普段は新幹線のひかりを利用していて、特別急ぐ用事がある時は追加の料金を負担してのぞみに乗っている。しかし、ここで余計なお世話をする人が現れ、こう言う。「新幹線代をただにしてあげるので喜んでください。ただし全ての人に無料にするので利用者は増えるでしょう。また、停車駅も増やします。つまり、あなたが望むと望まざるとに関わらず、ただにする代わりにこだましか走らせません。あなたの新幹線代をただにしてあげたのですから、それと引き換えに私のことをサポートしてください。ただにするための費用は、新幹線に乗らない人たちにも別の形で広く薄く負担してもらいます。」
結果として、ただにはなったのだが、どんなに急いでいても追加料金を払って速いのぞみに乗ることは出来ず、4時間掛けて大阪まで必ずこだまで行かなければならなくなる。選択の余地はない。さらにこれまで近距離だから、あるいは急がないから在来線を利用していた人も、大挙して新幹線に乗り換えてくる。したがってこれまでは指定席を取れたのに予約が難しくなり、自由席はすし詰め状態になる。これまで追加料金を支払うことによってのぞみで2時間ちょっとで着いた大阪も、すし詰めのこだまで4時間もかかるようになってしまう。そして新幹線に乗る理由が全くない人たちにも、費用の負担が求められる。
あなたの親が危篤になって一刻も速く駆けつけたくても、昔のように速く着く方法はない。いくらでも出すから速く行ってくれ、と思っても、そんなわがままは聞いてもらえない。
賢明な方はもうお分かりになったと思うが、これは民主党の高速道路を無料にする政策に関してのメタファーである。すなわち、無料化により高速道路の交通量が増加=所用時間、渋滞の増加=新幹線の強制こだま化(それも乗車率の高い)、であり、これまで通行料を払うことで目的地に速く到着できる便益を手に入れられていたのが、その選択肢が奪われる。
金を払ってそれに見合った便益を受ける、というのは立派な権利である。また、受益者負担の原則という言葉もある。たとえば温泉旅行に行って大枚はたいて贅沢したい人もいれば、安ければ安いほどいい人だっているだろう。それを一律ただにしてやるから貧乏旅行者も、たまには贅沢したい還暦の祝いのじいさんばあさんもみんな一緒の国民宿舎で我慢しろ、というのも極めて乱暴な議論に思われる。国民負担の減少という建前のもとで、国民の選択の自由を奪う政策であると思われるのだが、皆さんはいかがお考えだろうか。
無料化によって景気刺激になり、観光産業が潤う、という議論もあるかもしれないが、年中高速が渋滞すればあまり出かける気もしなくなる。毎週東京料金所から大井松田まで渋滞していれば、伊豆に出かける気も失せるだろう。鉄道が人数で料金を課金している以上、最近多い7人乗りなどのSUVで無料の高速で行楽に行こうというのは自然な成り行きに思われる。家族連れで帰省する際など、特にその傾向が強くなることだろう。大人二人と子ども二人の四人家族で、東京から大阪まで新幹線で行けば9万弱かかるところ、お父さんが渋滞を我慢すればガソリン代だけで着く、となれば昨今のデフレモードの中、我慢せざるを得ないかわいそうなお父さんは山ほどいるだろう。そうなれば中央道などただででも渋滞がひどい高速道路は、行楽シーズンや帰省シーズンには地獄の渋滞が起きることは容易に想像できる。逆に観光に行く意欲を殺がれる人もたくさんいるのではないか。
大事なことは、道路のキャパシティに比べて利用量が少なく、なおかつ料金を下げて高速道路に誘導することで社会的便益が増大するところはそうすればいいし(アクアラインが典型例、わざわざ川崎から首都高湾岸線、東関道/京葉道、館山道を回る人もいるぐらいだし)、料金を下げることでキャパシティをオーバーしてしまう東名(御殿場あたりまでか?)、中央(大月まで?)などは料金を下げるべきではないということである。
今回は環境問題や、道路特定財源の問題には触れないが、選択の自由がなくなるというのは個人的に大反対である。
ご意見あればこちらまで。(お断りしますが以前よりご覧頂いている方はお分かりでしょうが、私は自民党を支持しているわけでは決してありません。いわんや公明党をや。現在の高速道路の制度面、運営面に問題がないと言っているわけではなく、無料化では問題が解決されないどころか新たな問題が発生するということが言いたいので念のため。)
アルファ復活
アルファ復活、といっても大きなトラブルが起こったわけではなく、この下に書いたパドルシフトを交換しただけである。作業自体はすぐ終わった。小気味良くカチカチシフトアップできるようになって、結構爽快である。
しばらく前に、アルファの車検証誤記載について書いたが、ついでに車検証の訂正もやってもらうことになった。4ヶ月以上放っておいたのだが、流石にまずいということで、車検証のコピーを車に乗せておいて、実物をディーラーに預けて訂正してもらうことになった。本当にそんなのでいいのかは良く分からないのだが、一週間後ぐらいに実物が帰ってきたので良しとしよう。
それ以外は拍子抜けするぐらいトラブルのない147である。一つだけ気になっているのが、リアシートを倒してカーゴスペースを作っているのだが、リアシートの革がフロントシートの背に擦れて、妙にミシミシいうことである。気になって仕方がないので、倒したリアシートとフロントシートの背の間にタオルを挟んでいるのだが、なんとなく生活臭が色濃く漂うような気がして恥ずかしい。まあ、しょうがないか。
東北道で怒る
所用があって宇都宮まで出掛けた。日光に紅葉狩りするには絶好の行楽日和の秋の日曜日の朝。東北道は最悪な状況だった。一番右の車線をたらたら走る車の列。最も左側の走行車線はガラガラ。普段は左抜きすると大騒ぎする愚妻も、流石に今日は左から追越をかけても文句を言わなかった。民度の低い国だ。
話は変わるが、直近購入した「Option速度取締りスペシャル2004年版」
を見ていると、スピード違反で裁判まで至った例が出ていた。結構おかしいのが、お台場で167kmで走行しHシステムで検挙され87km速度超過となった人が、原因を「その場の楽しさ」と言い切り、判決は懲役3ヶ月、執行猶予3年。そんな言い訳あるか。実刑でも食らえ。ありがちな言い訳「腹痛で」といって98kmオーバーした人は懲役4ヶ月執行猶予2年を食らっていた。
宇都宮からの帰りは、「捕まると懲役、懲役」とぶつぶつ言いながら走っていた。懲役はまずいでしょう、やはり。例えばうちの奥さんが、「最近お宅のご主人見ませんねえ」と人に言われても「いやあ、ちょっと懲役に行ってまして」とは言えまい。そういえば昔の同僚が、かつて酒気帯びではなく酒酔い運転で六本木の交差点を青信号で渡っていた日系ブラジル人を撥ねてしまい、その場で逮捕、後ろ手に腰縄をつけられてブタ箱に入った話をしてくれた。彼はその後どうなったかというと、日本語を全く話せず書けもしない被害者からどうやってだか嘆願書を貰い、裁判で情状酌量で交通刑務所行きを免れたそうだ。
ちょうどその話をタクシーの中でしていて、乗り合わせた私の元上司が、「そういや昔の彼女がシャブで捕まって昔良く小菅の拘置所まで面会にいったなあ」などと昔話を始めてしまい、降りるときに運転手に会社のタクシーチケットを渡そうとしても、話が濃すぎて本当に会社の人なのか疑われて、チケットの受け取りを拒否されて現金で払うよう強硬に主張されたということもありました。あの頃は面白かったなあ。いろいろ。
最近好きな店
そば「本むら庵」(六本木)
六本木バウハウスに出撃する前に、び★☆り寿司にはもう行けないので、前の会社の友人F氏に教えてもらった本むら庵を活用している。ここはリーズナブルな値段でいてとてもせいろが旨い。(せいろは多分650円だったはず。)六本木通りを六本木交差点から渋谷方向に向かって右側の一本目を右折して徒歩1分、右側のビルの二階にこの蕎麦屋はある。つまみもしっかりしていて、煮茄子やアナゴの天ぷらなどをつまみながら日本酒を飲むと、出撃する意欲が若干薄れてきたりする。座敷の奥でそばを打っているのを見ながら飲むのもまた楽しい。閉店が早い(9時だったと思う)のが玉に瑕だが、胃にもたれない何かを六本木で軽めに食べる、という意外と難しい注文に答えてくれる、稀有な店。
免許の更新
免許の更新通知が来た。なんと、免許を取ってもうすでに十三年が経とうとしている。早いものだ。これまでの違反は3回、2回は昔「青猫との思い出」に書いたので良いとしよう。しかし最後の違反はいまだに納得行かない。パーキングメーター駐車時間超過という全くもって納得できない違反で切符を切られたので、今思い出しても腹が立つ。そもそも、駐車違反というのはそこに止めていると交通の妨げになり、事故を誘発しかねないから罰せられるはずである。しかし、パーキングメーターは全くもって不思議な存在である。お金を払えば邪魔にならないのか?金を払うのと払わないのとで何らかの実質的変化が起こるのか?何も起こるまい。私はちゃんと300円を支払っていたのだが、買い物から帰ってくると黄色いタグがドアハンドルにかかっていた。周りには普通の駐車違反の車もいるというのに。
何が納得行かないかというと、他の路上駐車の車を検挙するにはタイヤにチョークで時間を書いたりする手間がかかるのだが、パーキングメーターは自動で超過時間が表示されるため、手間がかからないのでこちらを検挙していたことである。どちらが迷惑かは論を待たない。あああ、思い出し怒りで興奮してしまった。本題の免許更新に話を戻そう。
過去5年間に一度だけの軽微な違反、ということで更新講習は1時間で済んだ。しかし免許の更新は結構間抜けである。そもそも、普段の生活で無作為に抽出された有象無象の人々と一緒に時間を過ごす、などという経験は味わえない。同じ目的で来ているにもかかわらず、なんら共通の話題もなく、狭い教室に1時間も閉じ込められるおじさんとおばさんの群れ。若い連中は初心者講習や違反者講習に行ってしまい、何となくよどんだ雰囲気が流れる中、全くノーリアクションの聴衆に向かって交通安全を熱く説く元警察官と思しきオヤジ。寒ーい雰囲気に耐えられなくなった。
今回発見したのは、免許の写真写りをよくするためにはどうしたらいいのかということ。着ていく服は結構重要。前回は白いポロシャツで行ったら顔色がえらく明るく写り、女性は綺麗に写る可能性大。今回はニットのグレーのVネックのシャツで行ったら、ガングロのホストのような顔で写ってしまった。確かに日焼けはしていたかもしれないが、着ていく服で露出が自動調整されるらしい。私はどうでもいいけど、気になる人は白っぽい服を着ていってください。
アルファのシフトパドルが不調
いつもアルファはマニュアルモードにして、ステアリングの9時15分の位置についているシフトパドルでシフトしながら運転している。前にも書いたが、セレスピードのシフトアップは若干タイムラグがあって、スムースに運転できるようになるには若干時間がかかった。しかし、慣れてくるとCityモードの「かっくんシフト」に比べると相当スムースな上、シフトダウン時にはブリッピングもちゃんと自動でやってくれて私のヒールアンドトウよりよっぽどうまいので、つい嬉しくて意味もなくシフトしてしまったりしてしまう。そんなことをやっているうちに、シフトアップ側のパドルがへたって来て、パドルの上半分が不感症になってしまった。
具体的にはどういう症状かというと、以前はかなりぞんざいに(というか箱根の山道を結構な勢いで走っていたりすると横Gに耐えなければならないため丁寧にはシフトできない)右小指の先で軽くちょんと触れただけでしっかりシフトアップしたのだが、今では下半分を丁寧に押さえないとシフトアップしなくなってしまった。スタートダッシュで1速でツインスパークをぶん回し、シフトアップ!と思ってガスペダルを一度戻してシフトアップしたつもりが、急激なエンジンブレーキが襲うという悲惨な症状。都会ではまだいいのだが、コーナリングをしながらシフトするような状況では結構目も当てられない。
最初は取り付け部のネジでも緩んだか、と思い自分で直す努力をしてみたが、どうやらそんな単純なものでもなく、オイル交換のついでにアレーゼ日本橋に行ってみてもらった。結論はパドル部分のピンが折れていて、うまくスウィッチにヒットしていないとのこと。部品を取り寄せるので後日車を持ってきて欲しいと言われた。結構あるトラブルらしい。まあ、パドルがワークしなくてもスティックシフトでシフトすればいいし、最悪CityモードでATチックに運転すればいいから致命的な故障ではない。しかし初めてのメジャーな故障だった。
余談になるが、オイル交換はフィルター込みで1万1千円程度。ちゃんと作業工程を説明した請求書を貰えなかったので、整備記録を保存できず、何だか気持ちが悪かった。
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