日々雑感 2003年3月


3月20日(木)
今、そこにある危機

戦争がついに始まりました。国連安保理の決議を経ずに始まる戦争です。日本は米国を支持していますが、これは事実上国連の決議よりも日米同盟を重視するということを意味します。これまでは、社会科の教科書をみると、「国連万歳」「国連は正義の拠り所」といった論調が目に付いた記憶があります。日本が国際連盟を脱退してから、軍国主義化に拍車がかかった、といった意味の記述も多くあったと記憶しています。

現実的には、北朝鮮の脅威がすぐそこにある事を考えると、米国を追従しないという選択は有り得ないでしょう。朝鮮半島有事に日本を守ってくれる国は米国しかないわけですから。北朝鮮からミサイルが飛んできた時に、日本には国土を防衛する能力は現時点ではないと聞いています。

イラクと北朝鮮を対比してみましょう。北朝鮮は独裁国家で、化学兵器や生物兵器などの大量殺戮兵器を所有しています。加えて、核開発を行っている国です。即ち、近隣諸国への脅威のレベルという意味では、イラクと同等の脅威を持つ国です。イラクは軍事力では米国に到底かなわないわけですが、戦争を回避するために武装解除を行う事なく、アメリカとの戦争を甘んじて受け、フセインは死をも覚悟していると報じられています。

もし、同様の選択を北朝鮮が行ったらどうなるでしょうか。大量殺戮兵器の廃棄を米国が勧告し、北朝鮮が拒否し、米国が戦争も辞さず、と強硬姿勢を取る。今回、日本が米国を支持するということは、日本は国連安全保障理事会の決定に左右されないという事を意味します。日本は国連の決議にはもう頼る事は出来ず、米国が戦争を始めると追従せざるを得ないという状況に陥る事は、容易に想像できます。

現時点では日本政府の決定、即ち対米追従(盲従?)は、もっとも現実的な判断だと考えます。ただし、われわれに対しなぜアメリカに追従する必要があったのか、国連の決議なしでの戦争に賛成するのか、ということに関しては、明確な説明はなされませんでした。これまで国連の意志≒米国の意志であったので、国連第一主義と米国第一主義と同義語だったわけですが、今回そのレトリックが通用しなくなったわけです。国連第一主義の放棄という、表層的には、あるいは米国以外の国との協調という意味では非常に大きな意味を持つ政策転換を行ったにしては、この国ではあまりに貧困な議論しか行われませんでした。

われわれは、米国が北朝鮮に対し強硬な対決姿勢を取らないという確信があるのでしょうか。あるいは、北朝鮮が米国を不必要に挑発し、米国の怒りが北朝鮮の予想を越えることは起こり得ないという確信はあるのでしょうか。米国にとって北朝鮮が第二のイラクとならないために、日本がどのように立ち振る舞ったらよいのか、何らかのアイデアはあるのでしょうか。思考を放棄するという選択肢は有り得ないのです。われわれの国が戦場にならないために。


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