日々雑感 2002年9月


2002年9月26日(木)
役人根性万歳


昼下がり、芝公園のHighlanderまで、3ヶ月に一度のメンテナンスのために車を持って行こうと会社を抜け出しました。最近、気温が下がったせいで、エンジンの調子が非常によく、2速で引っ張ると非常に気持ちのいい状態が続いています。今日もエンジンはご機嫌で、西麻布の交差点を東進し、六本木トンネルに向かって地下鉄乃木坂の駅前を結構なスピードで右折しようとしていました。
カーブの前で減速し、軽くヒールアンドトーで1速まで落とし、クリッピングを超えたら加速、吹けきって2速に入れたとき、視覚の端に水色の服を着てパイプ椅子に座っている、白いヘルメットをかぶった人の姿が映りました。
完全にやられました。こんなところでネズミ捕りをしているとは思いもよらなかったため、レーダー探知機のスイッチも入れていませんでした。軽く80kmは出ていたでしょう。交通安全週間だったということも、すっかり忘れていました。
トンネルを抜けたところに、赤い「止まれ」と書かれた旗を振りながら警官が出てきて、ワンボックスの中で取り調べられるのだろうな、と覚悟を決めました。そしてトンネルの出口を迎えると…。なんと赤い旗を持った警官は、踵を返してワンボックスカーの方向に向かっていくではないですか。そして、周りの警官は赤いコーンをいそいそと車に積んでいました。
ふと、時計を見ると12時を3分ほど回ったところでした。なんと、交通取り締まりは12時でおしまいだったのでした。
たとえば区役所に所用があって行って、「12時を3分回っているので今日は受付できません」などといわれれば、頭から湯気を出して怒りそうなところですが、今回はラッキーでした。


2002年9月2日(月)
働き始めるための準備、親知らずを抜く、髪の毛が…。


いよいよ今週金曜日から新たな職場で働き始めます。というわけで、いろいろ準備をし始めています。
まず、私にとって一番大きいのは親知らずを抜くことです。なぜ、これが一番大きいかと言うと…。下の写真をご覧頂いてお判りのとおり、下の一番左の歯が真横を向いて生えているのです。(これはの私の歯の本物のレントゲン写真です)



実は、私が大学生の時、大学の診療所で歯を見てもらっていたら、反対側の右側の親知らずを抜きなさいと言われました。右側も、今回同様大きな歯が横に向いて生えていました。早く抜きなさい、さもなければあなたの下の歯の歯並びはめちゃくちゃになるでしょう。こんな大きな歯が横から押してくるのだから。
非常に説得力のある言葉につられ、つい親知らずを抜くことを決心しました。京都大学の診療所なので、京大病院の先生が見てくれるはずだから簡単に抜けるに決まっている、と思い込んで、その日を迎えました。

写真でもお判りのとおり、親知らずを抜こうとすると、まず横に生えているために、引き抜くことが出来ません。ではどうするのかというと、まず歯を縦に切断します(書いているだけでも痛みを思い出して鳥肌が立ってきました)。そして、根っこの部分を引っ張り出すのですが、隣の歯との隙間が狭くて簡単には抜けないのです。そのため、顎の骨を削ることになります。
また、私は父が某乳業会社に勤めていたこともあって、子供の頃から毎日牛乳を最低でも一リットル以上飲んで育ってきたので、歯の質が非常に良いのです。これらの悪条件が整い、手術は困難を極めました。

更に悪いことに、奥歯は神経が入り組んでいるために、麻酔がなかなか効きにくいのです。私は、人から「親知らずを抜くと物凄く痛いよ」と聞いていたので、多少の痛みは我慢しなければ、と思っておりました。今から考えればバカな話ですが、痛いのは麻酔が切れた後のはずです。しかし、私は、「痛いのはみんな痛いのだから、我慢しなければいけない」と思い込んでいて、治療中に麻酔が効いていなく激痛が走るのを我慢し、なんとそのまま歯を縦に切断されたのでした。
あまりの痛みに顔面蒼白となり、さすがに歯医者も異変に気付き大慌てで追加の麻酔を下あごに気前よく射ってくれました。本当にあのときの痛みは死ぬかと思いました。

何とか麻酔の力を借りて手術は終わったのですが、本当に消耗しました。

しかし、です。二度目の地獄は麻酔が切れてからやってきました。顎が腫れ上がって、物凄い激痛が私を襲いました。下宿で、体をエビのように曲げながら痛みと戦いました。口もきけないほどの痛みでした。ずっと氷で顔を冷やしつづけても、なかなか腫れは引きません。麻酔の射ちすぎで下顎も機能せず、腫れとも相まって口はほんの少ししか開かないため、バナナぐらいしか食べられない日が1週間ほど続きました。

前置きが長くなりましたが、過去にこんな暗い経験をしているため、親知らずを抜くのは非常に気が重かったのです。しかし、働き始めた後に1週間も寝込んでしまうわけにもいかないので、意を決して抜くことにしました。
行きつけの歯医者さんも手におえない、ということで、日大付属歯科病院に紹介状を書いていただきました。大学病院は御茶ノ水にあり、手術は1時半からということだったので、しばらく美味しいものが食べられなくなると思い、鰻と同様に大好きなトンカツを昼食に「いもや」に食べに行きました。気分はほとんど最後の晩餐です。田中康夫が選挙で勝利を収めたため、彼の顔を何度もTVで見せられたせいで、「いもや」に行きたくなったというのも否定できない事実です(彼は「いもや」に学生時代から通っているのは有名な話です)。

いもやはあのクオリティで700円で儲かっているのでしょうか。まああれだけお客さんが入れば儲かっているのでしょう。ご飯少な目と言い忘れたので、炭水化物の摂取量を出来るだけ減らそうと思っているにもかかわらず、ご飯を丼一杯食べてしまいました。前にも書いたかもしれませんが、大盛りを頼んで残すのは、男の恥です。人生の敗者です。私に言わせれば、高速道路の合流で、タイミングを取れずに止まってしまっていることよりも、負け犬です。

御茶ノ水の坂を、気が重いのでとぼとぼと歩きながら、病院へ向かいました。病院で歯磨きをして手続きを済ませると、口腔外科に案内され、非常ににこやかな顔をした先生が、「さあ、やりますか」などと言います。「緊張しているようですねえ」などとおっしゃられるので、こちらも開き直って、「前回、非常に、非常につらい思いをしましたから」と言うと、笑いながらどこかに行ってしまいました。

きょろきょろとあたりを見渡すと、学生さんが処置を見学していたり、私と同様親知らずを抜く前に打ち合わせをしている患者さんがいたりで、なかなか落ち着きません。
しばらく待つと、先ほどの先生が戻ってこられて、麻酔を注射されました。前回、麻酔が効かなかったことを説明してあったので、慎重にやっていただきました。しばらくすると、下唇の感覚が失われ、舌も回らず、歯も全く感触がなくなりました。舌が回らないというのはこういうものなのか、などと思っているうちに、前触れもなく、先生が手術を始められました。

麻酔が効いているので感覚は全くないのですが、それでも口の中で歯を縦に割っているのが簡単に想像できます。口の中で歯の削りかすが飛び散る、あの嫌な感触が蘇ってきました。そして、どうやら縦に割れた後に、歯の破片を口の中からペンチのようなもので引っ張り出そうとしているようです。物凄い力でペンチで歯を抜こうとしているため、歯ではなく顎が痛くて死にそうになり、背中から汗がだらだらと流れ、「やっぱりこうなるんだよな」と痛みで朦朧とした頭で考えていました。

そうこうするうちに、スコンと歯が抜け、その後先生が口の中をいじりまわしていると、「はい、終わったよ」と言われました。想像していたより、随分時間も短く、何だか拍子抜けしてしまいました。もっと時間がかかった方が良かったわけでは決してないのですが。そして傷口を縫合され、止血用の脱脂綿を強く噛み締めた後、無事放免となりました。

結果から言うと、9年前よりもかなり楽でした。麻酔が切れた後、少し痛みましたが、それでも夕食は反対側の歯を使って問題なく食べられました。皆さん、親知らずを抜くときは、場数を踏んだ大学病院の口腔外科を紹介して貰いましょう。随分と楽なものです。

そして、もう一つの働くための準備は、孫悟空のような頭を何とかすることです。孫悟空のような頭は、結構周りでも評判は悪くなく、自分でも気に入っていたので、何だか少し淋しい気がしました。また、いつ再び髪の毛に色を入れられるかと思うと、しばらく到底無理な気がして、それも少し淋しくなりました。
行きつけの店で、ハカマダさんといういつも感じのいいお姉さんに、「髪の毛黒くして短くしてください」といったら、なぜか気がついたら坊主頭になっていました。でも、何となく気に入ってしまいました。所詮は何でもいいのかもしれません。
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