日々雑感 2002年1月 

2002月1月27日(日)
Quality of Life


我が家は3階建てのマンションの3階で、南西向き角部屋です。今、リビングでラップトップパソコンを使ってホットカーペットに座ってこの文章を書いていますが、日差しがぽかぽかとして、とても気持ちが良いです。だけど、マンションでホットカーペットを使うのは、よく考えてみると下の家の天井を暖めているような気がして、なんだか損した気分がします。どうでもいいことなのですが。

どうでもいいことといえば、学生の頃、食堂でサンドイッチを買って食べていて、「食パンを対角線に切ったこの三角形のサンドイッチのもう片方の三角形は、いったい誰が食べているのだろう」と思ったこともありました。学生の頃は、暇があったのでどうでもいいことを考える余裕が随分ありました。

今は暇も無く、お金は学生の頃よりも持っているけれども使う暇もあまり無いです。朝から晩まで仕事をしていて、自分の時間がありません。少し前までは仕事のストレスから自分を守るために、10時半には極力寝るようにしていたので、自分の時間がほとんど無かったです。最近は夜更かしをするようになったので、少しですが好きなことができるようになりました。何とか平日のQuality of Lifeを向上させるように努力しないと、精神的に壊れてしまいそうです。

労働時間はある程度所与のものですから(とはいえ9時5時で帰れるなんてことは決してないのですが)、平日にQuality of Lifeを向上させようとすると、睡眠の質を高めるか、食事の質を高めるかというのが重要なポイントになります。
偉そうにレストランの良し悪しを書いたりしている背景には、こんなことがあるのです。
睡眠の質を高めるためには、大枚をはたいて高いベッド(マットレス)を買い、奥さんのお古の枕(奥さんは以前気に入って使っていた枕から、頭の重みを均等に分散し、首の形を分析して作った特別な枕を今使っています)を使い、伊勢丹のバーゲンで買った定価はかなり高かった羽毛布団を使っています。

しかし、9時過ぎに仕事を終えて質の高い食事をとると、睡眠の質をある程度犠牲にせざるを得ません。食事は少しずついろんな美味しいものを食べるというのが私の理想なものですから、ある程度量を食べてしまいます。すると、眠りが浅くなってしまいます。また、お酒も決して物凄く強いわけではないのですが好きなものですから、食事のときに飲むことが多く、眠りに落ちるのは簡単なのですが睡眠の質自体は低下してしまいます。
やはり7時ぐらいから美味しいものを食べ、11時前ぐらいに帰宅し、のんびりと寛いでからベッドに向かうというのが人間として正しいあり方なのでしょう。

日曜日の就寝時間前に下らないテレビ番組が多く、下らないと思っても私を含めて多くの人が見てしまう(視聴率も結構高い)のは、日曜日の夜出歩く人は少なくテレビを見れる人が多いだけではなく、お笑い番組で「人工的に」幸せな気分になって、月曜日からの仕事からとうひしようとしている心理状態が働いているからかという気がします。仕事も無く、ストレスも無い学生が、馬鹿なお笑い番組を見て大笑いしているというのは、どうかと思いますが(でも自分が学生のときはそうだったかもしれない)。お笑いバラエティ番組にも需要が集中する時間があるというのもなんだか不思議な感じがしますが。

2002年1月26日(土)
六本木鮨 「山海」、ビストロ「マルズ」


いつもお世話になっている六本木の「山海」へお邪魔しました。ここは最近メディアへの露出が大変多くなっているので、ご存知の方もかなりいらっしゃると思います。実は、私の勤めている会社の複数の人間がかなり前からお邪魔していて、それで私もしばらく前から通うようになっていたお店です。

こちらは、山崎さんとおっしゃるご主人と奥さんで切り盛りされている店です。お弟子さんはいらっしゃいません。
カウンターが12席程度の、ご主人の目が行き届く余り大きくないお店です

先日、私の前の会社の後輩が結婚したので、お祝いに連れて行ってやったところ彼は大層気に入っていました。そして今日訪れたときに、先日その後輩が夫婦でやってきたとのことでした。
後輩と一緒にお邪魔した時に、ご主人とおかみさんと随分と話し込んでしまい、お勘定を済ませたのにそのあと1時間以上もお店でお話をしてしまいました。

ここは、お鮨も大変良いのですが、つまみが手が込んでいます。
例えば、ブリのトロをにんにく醤油にづけにして、軽く下味のつけてある短冊切りにした大根とルッコラの上に載せ、さらにミモレット(イタリアのチーズ)を振り掛ける、というようなつまみが出てきます。
また、お鮨も、例えばトロはさおからそのまま切ってくるのではなく、さおから薄く紙のように削ぎ落とし、それを重ねてシャリの上に載せて握る、という凝った握りになっています。その方が、表面積が大きく、脂の甘味が舌の上で広がりやすいのです。別に創作寿司のようなわけではなく、オーソドックスなタネ、例えば小肌やサヨリのような私の大好物も、とても美味しいです。

ご主人の接客の仕方も、この店が私の周りで評判がいい理由の一つです。

平日は予約が取りにくいのですが、土曜日だったので空いていました。六本木自体も人が少ないので、初めて行くのであれば土曜日がいいのかもしれません。

山海でおなかが一杯になった後、そのまま帰るのもなんなので、バウハウスかマルズバーに行こうと言うことになりました。バウハウスは、ライブハウスで昔のハードロックを生バンドでやっている店です。なかなかお奨めなのですが、奥さんはどちらかというとワインが飲みたかったらしく、冷たい雨が降りしきる中マルズバーを目指しました。

2週間ほど前に、接待の2次会でマルズバーに来たときも、いつ来ても感じのいい店だなあと思ったのですが(ワインのチョイスがいいことは言うまでもないのですが)、休日に奥さんを連れて行くにも非常にいい店だと改めて思いました。いつもスーツ姿でしか来ないのですが、休日カジュアルな格好で来てもご主人の長谷川さんが顔を覚えていてくださって、ちゃんと挨拶してくださいました。残念ながらバーの方は満席だったので、すぐ隣のビストロの方に初めてお邪魔しました。

おなかが一杯だったので食事は出来ない旨を告げたのですが、嫌な顔もされず、「冷たい雨の中わざわざお越しくださいまして有難うございました」と女性のソムリエの方におっしゃっていただき、こちらがなんだか恐縮してしまいました。

ボトルを頼んでもよかったのですが、最近酔っ払って帰って奥さんに嫌な顔をされる機会が多いので、奥さんの手前グラスワインにしておきました。
チーズの種類が豊富なのもこの店が好きな理由の一つです。メニューにさりげなく英字新聞が挟んであったので、読んでみると、Internatinal Herald Tribune紙で、99年に東京のワインバーという記事が出たときに東京でまず初めに訪れるべきワインバーとして紹介されていました。99年の記事でした。

カウンターでは一人で来られて食事をしながらワインを召し上がっている年配の男性、我々と同様に食事を済ませた後バーが満席だったのでビストロにきたとおぼしき30代後半の男性、そしてご夫婦で食事をされている方がいらっしゃいました。

食事がとても美味しそうだったので、今度奥さんが出かけている平日に、グラスワイン片手に食事をしに来るぞ、と心に誓いました。

2002年1月24日(金)
新宿三丁目ワインバー「」、BAR SMOKE


私が勝手に慕っている昔の親分(上司)と飲みに行くことになりました。親分の家は目白なので、新宿近辺が良いとのこと。男二人で飲んでいてさまになる飲み屋をいろいろ考えたのですが、どうも思いつかなかったので、前からお邪魔しているワインバー「蛮」に行くことにしました。

ワインバーというと何となくすかしたインテリアで自意識過剰なワイン好きな人がお客さんのうちの3割ぐらいいそうな感じですが、ここの店は何となくいい意味で居酒屋チック(失礼)なお店です。新宿三丁目から御苑方向に新宿通りを少し歩いて右に入ったところにあります。
ここは凄いワインと、お手ごろかつうまいワインが適度に混在したワインリストが秀逸です。
加えて、食べ物が美味しい。特にビストロ、あるいはトラットリアというわけではないのですが、ワインに合いそうな料理がいろいろ並んでいるという感じです。
プロシュート、アーティチョークのサラダ、エスカルゴのパイ包み、鴨のテリーヌなどなどどれもとても美味しく、外れがない。
ワインも10000円弱のフランスのメルロー主体のものをリクエストしたら、かなり美味しいものが出てきました(何だったか忘れてしまいましたが)。

唯一残念だったのが、食後のエスプレッソが美味しくなかったこと。それ以外はとても質の高い、コストパフォーマンスに優れたお店です。

その後もう一軒行こうということになり、親分の前からの行きつけのバーに行くことにしました。新宿には余り詳しくないので、ただ黙ってついていくと、なんだか古めかしい建物が見えました。「ああ、これが末広亭なのか」と酔っ払いながら考えていると、すぐに目的地に到着。BAR SMOKEです。
ここは福山さんという代表の方がいらっしゃいます。何が売りかというと、昔のロックをかけてくれるのです。昔ハードロック小僧(あるいは60-70年代ロックオタクともいう)だった私と、私よりもさらに昔からロックが好きな親分の好きな音楽ががんがんにかかるという、素敵な時代錯誤のお店でした。
Cream(Eric Crapton)、GunsのSlashなど分かりやすいところから、Rory Gallagherなどの超マニアックなものまで、福山さんが何でも知っているという恐ろしいところです。でしゃばらず、しかし一人出来ているお客さんも楽しめるという気遣いが絶妙でした。


2002年1月20日(日)
小田原蕎麦「星月」、箱根神社にお参り
今日は天気も良かったので、久しぶりに車で出かけました。いろいろどこに行こうか悩んだのですが、結局箱根に行くことにしました。

箱根に行く前に、小田原東インターを下りてすぐのところにあるお蕎麦屋さん、「星月」にお邪魔しました。実は、小田原のお鮨屋さんで、「時よし」というお鮨屋さんに一度行ってみたかったのですが、電話してみるとどうやら日曜日が休みだったらしく、急遽「星月」で蕎麦を食べることにしました。

私は鴨せいろを、奥さんは鴨南蛮を注文しました。車だったので、珍しくおつまみを食べてお酒を飲むことはしませんでした。鴨せいろは、思ったほど鴨肉に油がのっておらず、だしに鴨の脂が甘く溶け出ている感じではありませんでした。蕎麦も、半透明に光っていてとても美味しそうだったのですが、季節のせいか香りがあまりよくなかったです。ただし、つゆの味はとても柔らかい甘口で美味しかったです。奥さんも、蕎麦よりもだしの方が美味しかったといっておりました。

小田原東インターに行くまでに、白のスカイラインの覆面パトカーに遭遇しました。

非常に分かりやすいので、だれが捕まるのだろうと思っていましたが、反対車線に、真っ赤なボルボのワゴンが、黒のセドリックのだれが見ても覆面パトカーにしか見えないのに捕まっているのを見て、世の中にはいろいろな人がいるのだと感じました。気付けよ。気付くだろ、普通。

その後、箱根新道経由で箱根神社に行きました。いつ来ても感銘を受けます。私にとって箱根に行くということは、箱根神社にお参りに行くのとほぼ同義になります。なぜかというと、以前、箱根神社でお参りした直後に、芦ノ湖スカイラインでスピンしたのですが、奇跡的に全くの無事で済みました。箱根神社は、難所である箱根の山を無事通過できるようにと、昔から人々が交通安全祈願をする場所だったのです。その日はオフミーティングがあったのですが、その帰りに早速箱根神社にお礼参りに行きました。
箱根神社は、立派な杉の木がたくさん生えていて、その幹に触るだけで樹齢数百年とおぼしき杉から力を分けて貰ったような気がしました。

そして、箱根神社のすぐ隣の山のホテルのSalon de Rosageという芦ノ湖に面したカフェでケーキを食べました。芦ノ湖の水面に太陽の光が反射していて、とてもきれいでした。紅茶が売りのカフェだったのですが、コーヒーがとても美味しく、ついお代わりをしてしまいました。

その後は、立ち寄り湯の「天山」という所に寄りました。ここは温泉が源泉であるというのが特徴です。立ち寄り湯というと、大体循環式の温泉で濾過したお湯を沸かしなおしているという「なんちゃって温泉」が多いのですが、ここは源泉から直接かけ流しているというとても贅沢な立ち寄り湯です。初めて伺ったのですが、単純塩化物泉と、アルカリ泉の両方とも、とてもいい湯で、たいそう温まりました。

箱根は、東京から1時間程度で行けるのですが、奥が深い観光地だと思います。

2002年1月14日(月)
米沢 米沢牛しゃぶしゃぶ 大河原


昨日、あんなことを書いたのですが(下記「廃用牛」参照)、今日は米沢で米沢牛のしゃぶしゃぶを食べるため出掛けました。昨日から、観光案内所でインターネット検索をさせてもらい、米沢駅から近い「大河原」という明治初期に創業された店で昼食を摂ることにしました。
お店のHPには、すき焼き、ステーキ、そしてしゃぶしゃぶがあると書いてあったのですが、しゃぶしゃぶだけは要予約とのこと。奥さんと、「どうしてしゃぶしゃぶだけ予約が要るのだろうか」と訝しく思いました。
11時半に米沢に着き、駅から歩いて3分ほどのお店に出向き、直接12時半からしゃぶしゃぶを食べたい旨の予約を入れました。お店は、昔からの民家を恐らくそのまま用いたと思われる佇まいでした。


そしてその足で上杉神社まで出向き、雪化粧の神社をお参りしました。本殿が改築されてからそれほど古くないのですが、雰囲気のある良い神社でした。

徒歩で上杉神社まで出掛けたため、すぐに12時半になってしまい、タクシーで大河原まで戻ることにしました。
ガラガラとガラス戸をあけ、昔からの旅館のような玄関で履物を脱ぎ、古めかしい建物の廊下を歩いて、座敷に通されました。
座敷の中に入ると、とても美味そうなすき焼きの匂いが立ち込めていました。我々の前に2組のお客さんがすき焼きを召し上がっていました。
予約の時間に少し遅れてしまったため、我々の席ではすでにしゃぶしゃぶのなべが煮立っていました。人の良さそうなお店の方に、特選を2人前と牛刺しをお願いしました。
そして、出てきたお肉がこれです。

とてもきれいに脂が乗ったお肉です。このお肉を、ほんの二振りほどお湯にくぐらせて、ピンク色の残ったまま食べたのですが、脂の臭みが全く無く、甘さが口の中に広がり、なんともいえないお味でした。勿論とても柔らかかったことは言うまでもありません。ほんの少しつけたポン酢に、うっすらと脂が浮くほど、きれいにサシが入っていました。

牛刺しはやはり鮪と違って脂が口の中でとろけるという訳にはいかないので、甘さが引き立つように少ししゃぶしゃぶの器の煙突の部分で肉を温めて、脂を少し溶かしてから食べました。

とても美味しかったので、肉を追加しようかと思ったのですが、不覚にもお腹が一杯になってしまい、まだ舌は食べたいのに胃はそれを嫌がってしまいました。
またぜひ来たいと思います。隣ですき焼きを食べている人は、我々のしゃぶしゃぶを羨ましそうに見ていましたが、私はすき焼きも好きなので逆にすき焼きが羨ましく思えました。お店の人曰く、このお店は明治初期からすき焼きをやっているお店なので、やはり一押しはすき焼きなのだそうです。今度是非、またすき焼きを食べに行こうと思いました。


2002年1月13日(日)
廃用牛


TVを見ていたら、先日熊本城に捨て犬ならぬ「捨て牛」があったと報道していました。6頭ほどの捨て牛の体には、「武部の能無し」などと狂牛病の監督責任者である厚生労働省を揶揄する落書きが、黄色のスプレーで書かれていました。TVに映った牛は、なんだかとてものどかそうな顔をしていて、体の落書きととてもギャップがありました。

アナウンサーいわく、「これらの牛はすべて『はいようぎゅう』です」と語っていましたが、私はそれが「廃用牛」を意味しているということを理解するまでに多少の時間を必要としました。生きているけれどもごみ、というニュアンスのある、恐ろしい語感です。

「廃用牛」。その定義は乳牛であるホルスタインの雌牛が、主に老齢化によって乳が出なくなり、乳牛としての価値がなくなった牛のことを言います。乳牛は、牛乳にカルシウム分が多く含まれるようにするため、飼料に肉骨粉が混ぜられていたのです。その結果、老齢の廃用牛は、狂牛病の疑いが極めて高く、市場価値は現在ほとんど無いそうです。
当たり前のことですが、牛には選択の自由はありません。あるいは、畜産農家の方にも選択の自由は無かったのかもしれません。カルシウムの多い牛乳を有難がって飲むのは我々消費者で、我々の嗜好に答えるために畜産農家の方は危険を知らずに肉骨粉を飼料に使い、牛はそれを受動的に食べていただけです。

我々も、歳を取って社会のために何かできなくなり、社会にお世話になる日がいつか来ます。「廃用人」です。これまでの社会は余裕があって、おじいさんおばあさんの面倒を見ることが出来てきましたが、これから余裕が無くなってくると、自分が「廃用人」と言われてしまう日がくるかもしれません。姥捨て山リターンズです。

私の父は、乳業会社に長く勤め、引退する2年前まではその会社の系列の、ハムなどを作っている畜産会社を任されていました。
父は滅多に仕事の話をすることは無いのですが、ある日、牛が殺される時の話をしました。牛を殺す時、ピストルのようなものを眉間に撃ち込むのだそうです。牛は、自分が死ぬことが判るのだ、と父は言いました。私は信じられず、どうしてそんなことが判るのだと父に聞きました。父は、「牛が泣くのだ」と答えました。牛が、涙を流すのだそうです。
私はこれが本当のことか分かりません。しかし、この話を聞いて以来、食べ物を残すのは止めようと心に誓いました。我々人間は罪深いもので、生きていくためには動物と植物を殺して食べなければ生きていけません。我々のために死んでくれたもののためにも、しっかり無駄なく食べないと、死んでいったものが浮かばれないと思うのです。

私が思うに、美味しい食べ物は、幸せな人生を送った結果、美味しくなったのではないでしょうか。美味しい果物は、太陽をたくさん浴びて育ったために美味しくなり、美味しい牛肉は、畜産農家の方が大事に育てたので美味しくなったのではないかと思います。美味しいものが高いのは、手塩にかけられて育っているからです。「幸せな死に方」をするためにお金がかかっているという皮肉な言い方ができるかもしれません。というのも、肉牛は最終的には殺されて人に食べられる運命にあるからです。神戸牛が、ビールを飲まされてマッサージをして貰っているというのは、狭い牛舎に押し込められて混合飼料を食べている牛と比べると幸せなのかもしれませんが、自分の意思に反して一生を終えるという意味ではどちらも不幸せです。

明日の昼は米沢牛を食べます。こんなことを書いておきながら、実際、とても楽しみです。ベジタリアンの方には憧れますが、多分私はベジタリアンになれないでしょう。しかし、最近は肉を食べることが減りました。これは、狂牛病騒ぎのせいではなく、一連の騒ぎの前からで、一つには私が歳をとってきているからというのもあるのでしょうが、それだけではなく先ほどの父の話を聞いてからのような気がします。

私には、何が幸せで、何が不幸せで、何が善で、何が悪か、何が正しくて、何が間違っているのか、正直もうよく分かりません。


2002年1月13日(日)
初めての山形、蕎麦屋「庄司屋


山形に行って、蕎麦を食べることにしました。もちろんそれだけのために山形に来たのではなく、連休をゆっくり温泉で寛ぐついでに山形で何かうまいものを食べようと思ったのです。山形の名産の一つが蕎麦だということを観光案内所で教えてもらい、案内書にあったうまいものガイドと、うまい蕎麦ガイドブックを見て、二つの店に目星をつけました。一つは萬盛庵というお店、もう一つは庄司屋というお店で、どちらに行くか結構悩みました。萬盛庵は蕎麦に紅がらで薄く色をつけたせいろの写真が、庄司屋は十一蕎麦と更科蕎麦(御前蕎麦のような真っ白な蕎麦)の合い盛りの写真が出ていて、どちらも捨てがたかったのですが、結局庄司屋まで駅から歩いていくことにしました。
山形駅から歩くこと10分程度で、目指す庄司屋は見つかりました。

山形の蕎麦研究会みたいなものの会長を店主が務めていて、山形で蕎麦を出した初めての店だということが店の中でわかりました。
かなり期待して合い盛りの蕎麦を注文しました。店内ではグルメ雑誌の「Danchu」を読んでいる女性もいたりして、期待が高まります。お店はかなり大きく、奥には大きな座敷もあり、お客さんも丁度お昼時というのもあってかかなり入っていました。

出てきた合い盛りは、こんな感じでした。ボリュームが結構あります。


まず十一蕎麦の上にかかっている海苔を掻き分けて蕎麦の味を確かめました。結構太めで角が立っている感じの蕎麦です。しかし蕎麦の香りが立ちません。鼻が詰まっているせいかと思って奥さんにティッシュを貰ったのですが、どうやらそういう問題ではなかったようです。更科蕎麦も非常にきれいな半透明の色だったのですが、こちらも喉ごしは良いのですが味、香りは今ひとつでした。ただし甘めのだしはかなりいい感じで、だしをつけて食べればたいていの人はおいしいと思うでしょう。薬味のネギも山葵もとても新鮮でした。
もう一軒萬盛庵を訪れようと思ったのですが、量が結構多かったので、残念ながらお腹が一杯になってしまい、断念しました。
物凄く期待して行ったのでちょっと残念だったのですが、普通に考えれば悪くないと思います。
休憩がてら入った喫茶店に、山形の観光ガイドブックがあったので見てみたら、庄司屋が一番初めに載っていました。

山形について。

実はお恥ずかしながら私は山形のことを良く知りませんでした。今回訪れて判ったことは、山形は最上義光(よしあきと読む)の街だということです。私は日本史には全く明るくありません。良くないことだとは自分でも認識しているのですが。何となく最上義光について詳しく知りたくなり、歴史館を訪れました。

関が原の戦いで徳川方についた最上義光は五十七万石の大名となり、徳川家にとって、伊達正宗の脅威のある東北の要となりました。彼のもとで山形は文化的にも繁栄を極めたのですが、その二代後は弱冠十二歳で跡目を継いだためにお家騒動が起こり、江戸幕府にとって戦略的に重要な地がちゃんと統治されていないということで、最上家は滋賀に追いやられることになってしまいます。
その後、最上義光を越える大名は出ることなく、五十七万石だった領地も、ジリ貧となって江戸時代末期にはとうとう五万石まで減ってしまいました。そのことも遠因かも知れませんが、山形城は明治初めに帝国陸軍が駐屯するということで更地にされてしまったのだそうです。

資料館で印象深かったものが二つあります。
一つは、義光の娘駒姫の話。駒姫はとても美しく、その美貌はとても有名で、洛中まで噂は届いていました。それを聞きつけた豊臣秀次(秀吉の息子)が、駒姫を聚楽第に遣して側室にできないかと義光に何度も頼んだそうです。義光としては自分の愛娘を側室として秀次に差し出すつもりは無かったのですが、秀次が何度も何度も頼んだため、無下にするともしやのことがあると考えて、泣く泣く愛娘を聚楽第に差し出したのです。
駒姫が秀次のもとに差し出された直後に、大変なことが起こりました。秀次の父、豊臣秀吉が、「謀反の疑いあり」として、秀次とその妻子ら三十余人を処刑してしまうのです。その中には駒姫も含まれていました。義光の願いも届かず、駒姫は京都の三条河原で処刑されたそうです。全くいわれの無い謀反の罪だったにも関わらず、十五才の若さで、取り乱すことも無く気丈に辞世の句を詠んでこの世を去ったそうです。

京都の三条河原といえば、学生の頃よく歩きました。京都は狭い街なので、飲んだ後てくてく徒歩でよく河原を歩いて帰ったものです。また、夏の夜ともなると酔っ払った学生が三条大橋の近くで裸で鴨川に入っているのが良く見られました。「河原衆」という言葉があり、河原は都の外と考えられて、人の屍骸を捨てに行くところだったということをかつて歴史の授業で習いましたが、実際にこんな話の中で出てくると、なんだか感慨深いものがあります。

もう一つ印象に残ったのは、最上義光が実際に使用した兜です。歴史館の中に飾ってありました。とても立派な兜なのですが、よく見ると左の額の上辺りがまるで落として壊れたかのように凹んでいます。解説を見ると、1600年の長谷堂の戦いにおいて、敵の流れ弾を受けた痕だと書いてありました。保存状態も良く、400年以上の歴史を超えて今ある兜に、とても感銘を受けました。


2002年1月9日(水)
蕎麦の食べ方


先日小田原を通りがかった際、昼時に市役所の裏にあるお蕎麦屋さんに入りました。たまたま手打ち蕎麦の店が見つかったので入ることにしたのですが、これが物凄い薀蓄親父のいる店でした。
普通にせいろを頼んで、TVの京都高校駅伝を見ながら蕎麦を食べていたのですが、親父が「お前の食べ方はつゆをつけすぎだ」と、カウンターの中から私が蕎麦をすする音を聞いて説教するのです。
いつもならムッとする所なのですが、その時は、どういう訳だか親父さんの言うことを聞いてみようという気になりました。
親父さんいわく、「蕎麦の香りを確かめたいのなら、つゆ、海苔や薬味を使わずにまず蕎麦だけ食べてみろ」とのこと。これまで私は蕎麦の上に山葵を載せ、ネギを入れたつゆに蕎麦をつけて食べていました。しかし。蕎麦だけ食べてみると、確かに蕎麦の香りが口の中に広がって、また噛み締めていくうちに甘味が感じられます。つゆの味が、そばのでんぷん質が口の中で甘味に変わっていく時の香りの移り変わりを殺してしまっていたのが判りました。
「こしのあるだけの蕎麦が多いが、あれはつなぎの小麦粉が多いので、有難がって食べるのは馬鹿だ」とか、「御前蕎麦で真っ白なのは偽物で、本当は薄く色のついているものだ」とか、果ては「うまい鮨にはどっぷり醤油をつけるな」と鮨の食べ方まで講釈されました。鮨の食べ方には私は強い拘りがあるのですが。

何でそこまで言われたのか良くわからないのです。お鮨屋さんではいろいろご主人に質問をしたりすることがあるのですが、蕎麦屋さんではこれまで私はほとんど薀蓄をたれたことはありません。その店では、TVで京都の駅伝をやっており、昔住んでいたところの近くが出ていてそちらに神経が行っていたので、お蕎麦屋さんの癇に障ることを言った記憶は全くありません。恐らく地元の常連さんしか行かない店に、我々若造が入って来たので教育しなければいかんと思われたのでしょう。
頼んでいたせいろを食べ終わって、ぼちぼち退散しようかと思っていたら、親父さんが「今日までしか出さない生粉打ち蕎麦があるから食べて行け」というので、もう一枚蕎麦を手繰ることにしました。値段はせいろの倍するのですが、蕎麦粉は長野で取れたばかりのものをつなぎを使わずに食べさせるというのです。
結構待たされたのですが、幅広に打たれた蕎麦が出てきました。すると親父さんがわざわざ厨房から出てきて、「薬味もつゆも使わず、塩で食え。うまい飯と一緒だ」と言うので、蕎麦一枚を塩で食べました。じゃあ最初からつゆと薬味をつけて出すなよ。初めて蕎麦を塩で食べたのですが、香りと甘味が引き立つのでとてもよかったです。
最後に蕎麦湯を飲んだのですが、蕎麦湯はどろりとしていて、まるで蕎麦がきを食べているかのようでした。さっと蕎麦を手繰って帰ろうと思っていたのですが、とんだハプニングでした。
しかしそれ以来、蕎麦につゆをほとんどつけずに食べるようになりました。その方が蕎麦の味が良くわかります。(蕎麦通の方、「何をいまさら」と思わないで下さい。)


1月11日(金)
赤坂 割烹「やま喜


私が東京で食べた中で一番うまいと思ううどんの店、それがこちらの「やま喜」さんです。
これまで、昼にうどんを食べに行くとしたら間違いなくここしかない、というぐらい気に入っていたのですが、実は申し訳ないことに、5年以上通っておきながら夜にお邪魔したことがなかったのでした。
連休前でどこか奥さんと晩御飯を食べに行こうと思い、父方の出身が香川である奥さんに是非こちらのうどんを食べさせたくて、連れて行くことにしました。
夜はコースか、コースの中からいくつか選べるというシステムになっています。
最初に出てきたのが胡麻豆腐、だしがうまいのは予想できていました。
次が椀物で、鯛が入った澄まし汁、これも非常に上品な味で、柚子の香りがお碗を引き立てていました。そして、圧倒されたのがアオリイカのお刺身。丁寧に包丁が入れてあるアオリイカの半透明に光っていて、食べる前から期待が高まっていたのですが、流石「イカの王様」と言われるだけあって、ねっとりとした中にも甘さが口の中に広がり、山葵の香りと渾然一体となってとても美味しかったです。
そのあとになまこ酢、牡蠣入り湯豆腐、焼魚、茶碗蒸しと出てきました。なまこ酢はとても好きだったわけではないのですが、とても美味しく頂きました。牡蠣は味が濃く、身も引き締まっていて、まいたけとの相性も最高で、豆腐は牡蠣のだしを吸っていいお味でした。焼魚もすだちと食べてとてもさわやかな味、茶碗蒸しにも牡蠣が入っていて大満足です。
そして最後の締めが玉子入りぶっかけうどん。茹で上がったうどんにかつお節、ねぎ、大根おろしが入っているのですが、その上に生卵を載せ、だし醤油をかけてかき回すと、玉子の半熟度合いと出汁の混ざり方が最高にうどんに合います。書いていてまた食べたくなってきました。昼には玉子かけぶっかけうどんはないのですが、これを食べにまた夜来てしまいそうです。(昼のうどんについてはこちらをご覧下さい)。

接客もおかみさんが非常に感じの良い方で、楽しく食事が出来ました。帰る際、おかみさんが「鯛の中の鯛」を下さいました。

鯛の骨が、鯛の形をしているのです。四つ葉のクローバーのように、幸福のお守りだそうなのですが、ありがたく頂戴しました。

ビルの地下一階で、なかなか気がつかないのですが、是非赤坂にいかれたら立ち寄られることをおすすめします。お酒とビール2本とコースで、2人で2万円行かない程度でした。

1月6日(日)
鎌倉 鮨 和さび


長い休みも今日が最終日、何かいつもと違うことをしようとインターネットで湘南近辺での見どころ、食べどころを探していました。
すると、私の嗅覚に反応するお鮨屋さんが、鎌倉に見つかりました。
何となく、これはいけるのではないかという感じがしたので、すぐに予約を取って奥さんと出かける支度をしました。「知る人ぞ知る」店だそうなので、予約が取れないかと思いましたが、無事取れました。
カーナビはやはり便利で、住所を入力すると全く迷わず行けるというのは、当たり前のことではあるのですが有難いことです。
そのお鮨屋さんの名は「和さび」といい、街道沿いから一本入ったところにひっそりと佇んでいました。親切な看板などというものは全くなく、一見のお客さんが入ってくることを全く期待していない店です。
非常に地味な外観のお店で、昔からの民家を改装して作った店だということがご主人との会話で分かりました。
昼時にお邪魔したのですが、たまたま我々2人しかお客さんがおらず、貸切のまま食事が出来ました。席はカウンターが8席、あとテーブルだけの小さなお店です。カウンターは掘り炬燵のようになっていて、お鮨を頂く場所は、あたかも昔の家に住む親戚の家に招かれたかのようでした。
肝心のお味ですが、これが非常に良かったです。シャリは非常に小ぶりで、しかし米粒は太めのしっかりとした庄内米。おまかせで出てきたのは14貫ほど、〆鯖、小肌をはじめ煮詰めを塗った穴子、おぼろを挟んだ茹で海老など、とても良かったです。つまみを食べなかったのですが、シャリが小さめだったので14貫食べてもまだまだ食べれる感じでした。
こういった店は大勢が詰め掛けてしまうと店の雰囲気が壊されてしまうと思うので、ご興味がある方はメールを下さるか、ご自分でウェブ上で検索なさってください。
ちなみに奥さんと私でおまかせで握って頂いてビールを2本飲んで、昼だったのですが1万2千円行かないという非常に良心的なお店でした。
1月3日(木)
F355への思い


年末、くるまにあを買いました。今月の特集は、ずばりF355。私は、F355特集の雑誌はほとんど買い揃えています。
どういう訳だか、昔からF355が好きで好きでしょうがないのです。あの音は、最高に痺れます。デザインも、今見てみると多少古くなったように感じますが、それでも非常に美しく、モデナよりも圧倒的に好きです。
前にも書いたように、私の理想の車はF355でした。ポルシェは、いつか乗ってみたいなあと漠然と考えていただけで、どうしてもポルシェでないと、と思っていたわけではありません。心からポルシェを愛している方々、御免なさい。

私の会社の友人がシルバーのF355に乗っていて、いつも仕事の話そっちのけで車の話をしています。彼に、「ドライブに連れて行ってくれ」と何度も懇願するのですが、「車貸してやるから勝手に行け」と言われます。流石に、人のフェラーリを借りていくのも気が引けるので、まだお言葉に甘えてはいませんが。
しかし、値段が高い車です。さらに、荷物が全く積めないので、もう一台分の駐車場を借りて実用的な車を買わなければなりません。
その点で言えば、993は実用性と趣味性が両立した車だと思います。
話はずれますが、世間の人は、ベンツのS500を買う人はまともな人で、あまり値段が変わらないのフェラーリを買うと狂っているとみなす風潮があるのは、どうしてなのでしょうか。

くるまにあを読んでいると、「フェラーリのV8のF355が好きでF355を買った人」というよりも、「フェラーリに乗っている(ほどお金持ちな)自分が好き」な人とか、「フェラーリに乗っている男が好きなお姉ちゃんが好き」な人のほうが多い気がします。
うちの奥さんは、フェラーリに乗っている人が嫌いなので、私が「F355って格好いいよね」などというと、露骨に嫌な顔をします。というのも、奥さんの前の会社でとても変で嫌味な人が、フェラーリ自慢をしていたからだそうです。
確かに、「セルシオは好きだけれどもセルシオに乗っている人が嫌い」「シルビアは好きだけれどもシルビアに乗っている人が嫌い」「ベンツSクラスは、車自体は好きだけれどSクラスに乗っている人は高速で路肩を走る人が多いので嫌い」とか、そういうのってありますよね。

どなたか、程度良好なF355を手放す際には、どうか私に一声かけてください。万が一、その時理性のたがが外れている(あるいは奥さんから匙を投げられている)可能性がありますので。
1月2日(水)
気まずい瞬間


昔、臨死体験の本を読んでいたら、気まずい瞬間について書いてありました。それは、死にかかって今にもあの世に行きそうだ、という瞬間がきて、本人も、家族もみんな覚悟を決めているのですが、まだ完全にあの世には行けず、「死なないでおじいちゃん」などと声をかけられて本当にこの世に戻ってきてしまう、といったような話でした。残される家族は、いつ泣き崩れていいのか戸惑い、あの世に向かう人はなぜだか罪悪感を感じてしまう、という不思議な話でした。それは、列車が出発する直前に「さようなら」と別れを告げて感極まったにも関わらず、なかなか列車が出発しないで間が悪い、というのに似ているとも書いてあったように記憶しています。

臨死体験ほど深刻なものではないのですが、私も会社の用事でお客様のところを訪問し、所用を済ませて失礼する時、エレベーターに乗って「どうも有り難うございました」と言って頭を下げたままドアが閉まるのを待つ時、ドアがなかなか閉まらないと非常に気まずい思いをします。エレベーターに乗り合わせた人がいる場合、親切な人だと頭を下げたほんの僅か後にエレベーターの「閉」ボタンを押してくれたりしますが、間違って「開」を押されてしまったりするとこれは目も当てられないことになります。
1月1日(火)
明けましておめでとうございます

皆様、明けましておめでとうございます。本年も引き続き宜しくお願い申し上げます。
私にとって今年はどんな年になるのか、なんとなく非常に波乱万丈に満ちた一年になりそうな気がしています。
大晦日は、「行く年来る年」を見る前に眠くて寝てしまい、初日の出も寝過ごしました。
朝、お屠蘇を奥さんに注いで貰ったときに、「もうちょっと入れてよ」と言って両親に大笑いされてしまいました。だって朝からお酒が飲みたかったんだもん。
暇だったので、奥さんと一緒に一碧湖に行って、湖の周りを一周しました。大晦日は、とても穏やかな一日だったので、鏡に映したかのように水面に山並みが映り込んでいましたが、今日は風が強く、波が結構立っていました。そんな中、家族連れがボートを漕いでいたので、随分なチャレンジャーだなと思って見ていました。この人たちのボートが万一引っくり返ったら、私は冷たい水の中に入って助けなければならないのか、とふと思いました。そんなの無理だよ。

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