日々雑感 2002年2月 


2002年2月23日(土)
京都 俵屋


京都に向かう車中でこの文書を書いています。
通路を挟んで隣にはお相撲さんが座っています。昔だったら関取の顔と名前はほとんど一致していたのですが、今は全く駄目になってしまいました。

前から不思議に思っていたのですが、新幹線に乗るとビールの缶を開ける"プシュッ"という音があちらこちらから聞こえて来るのですが、その音は列車が動き出してから盛んになるのです。別に出発前からビールを飲んでも、誰も怒らないと思うのですが。

京都について。学生の頃の4年間暮らしていました。学生には居心地の良い街です。何故なら下宿している学生の割合が高く、人恋しくなると誰かの部屋まで自転車で行けばそこには必ず誰かいるのです。
また、観光客には物価の高い街ですが、大学の周りは安い定食屋が沢山ありました。大学の生協も安く、確か300円あればカレー一杯とそば一杯が食べられ、打ちのめされる様な満腹感を味わうことが出来るのです。レシートには栄養分(蛋白質、ビタミン、炭水化物)とカロリーの表示が出るのですが、カレーとそばでほとんど炭水化物、ビタミンは極小で、カロリーは1000kcalを超えていました。300円で1日に必要なカロリーの3分の1以上を摂れてしまうのです。摂取カロリー当たりのコストパフォーマンスはとても高いといえるでしょう。
今はそんな食欲もなく、美味しいものを少しずついろんな種類食べるのが好きです。学生の頃はお金も無く、京都の名店を訪れる機会など考えられかったのですが、現在では少しは贅沢をさせて頂ける様になったので、今回は美味しいものが食べられることにとても期待しています。
いくら学生の頃に京都に住んでいたからといって、土地鑑はあるものの美味しい店を知っている訳も無いので、福田和也氏の「贅沢入門」という本を参考にしました。
まず京都に降り立ったら、清水二年坂にある「みしな」という洋食屋を訪ねようと思っています。

街が大きくないことも、学生時代に住み良いところだと思った理由の一つです。昔は河原町丸太町の近くに住んでいたのですが、どこに行くのも大概自転車で事足ります。四条河原町までは急ぎでない時は歩いていくのが常でした。
お金は無く、時間は有ったので、どこにでも自転車か歩きで出掛けました。
好きだった場所を幾つか挙げてみます。
一つは、出町柳の高野川と鴨川が合流する地点、学生の頃は「鴨川デルタ」と読んでいた場所です。天気の良い日にのんびりするのに最適な所でした。近くの出町柳商店街にある「ふたば」の豆大福はお勧めです。
そこから暫く南下した所にある荒神橋に、亀をかたどった飛び石が川面から顔を覗かせていて、その飛び石伝いに鴨川を渡るのも好きでした。
昔、荒神口を下った所に「ニュー菊水」という洋食屋があって、そこで夕食を食べると物凄く満たされた気分になりました。その店は私が在学中にシェフの方が渡仏して勉強されるとのことで店を畳まれました。2年ほど前、即ち店を閉めてから6年後に訪れてみたのですが、残念ながらまだ店はそのまま閉められたままでした。今回はどうなっていることやら。
そうこうしている間に京都に到着してしまいました。

今は宿で書いています。
昼前に京都駅に降り立ち、タクシーで二年坂へと向かいました。東山五条から五条坂を上がって産寧坂まで行く途中、学生の頃に家庭教師をしていた家の前を通りました。清水坂の途中です。風景が8年前とほとんど変わっていないのでほっとしました。
勿論お目当ては「みしな」のビーフステーキです。二年坂を少し下った路地を入ったところに「みしな」はありました。しかし!雰囲気が何だか変だと思ったら店の前には残酷にも「臨時休業」との張り紙が。非常に残念でした。気を取り直して祇園にある蕎麦屋「権兵衛」まで歩くことにしました。二年坂を円山公園方面に下り、高台寺の近くを抜けると、「京都に来たなあ」という気持ちになりました。確かに学生の頃何度も通った場所なのですが、今来てみるととても新鮮な気がします。何でそんな気がするか不思議に思って考えてみたのですが、学生の頃は当然の景色、即ち京都の町並みに馴染み過ぎてしまって、有難味を感じなかったのではないかと思い至りました。そんなことを考えながら八坂神社の中を通り抜けて祇園の猥雑とした盛り場を過ぎたところに目指していた「権兵衛」の提灯を発見しました。

12時を少し回った頃だったので、込んでいないといいけれどと思いながら店の中に入ると、満席ではなかったもののそこそこのお客さんの入り。
おばあちゃんと孫が買い物帰りにお蕎麦屋さんで軽くご飯を食べている、と言った風情のテーブルで相席させて貰いました。2人が鴨南と親子丼を食べているのを横目で見ながら、きつねうどんを注文。お品書きを見ると蕎麦屋なので当然のことながらメインは蕎麦のメニューでした。うどんを頼んで正解だったのかを思い悩んでいるうちにきつねうどんが出来上がりました。
これが美味い。だしは間違いなく関西のだし。うどんはこしがあるというよりもぷちっとした噛み応えで、葱は京都の葱、おあげは少し分厚く甘い味が染みてだしとあって非常に美味しかったです。小ぶりのお碗で出てきたこともあって、すぐに食べ終えてしまいました。
しかし、うどんだけを食べて帰って良いのかという思いが押し寄せ、つい卵とじ蕎麦を追加してしまいました。これも美味かったのですが、卵が思った以上に半熟だったために、美味しいおだしが何となく卵臭くなってしまいました。それでも美味しかったのでだしを全部飲んで帰ったのですが。

所用を済ませ、宿に向かいました。宿は「俵屋」です。身分不相応だとは十分承知しているのですが、一度最高のものを試しておけば、そこを基準に全てが判断できると思ったので、贅沢することにしました。


400坪の敷地に僅か18部屋。静謐感に満ち溢れた宿です。一人で4時過ぎにチェックインして、日の落ちないうちに見て回ろうとあわただしく宿を後にしました。
麩屋町御池からてくてくと歩き、寺町通りを北上して、少し東側に入ったところに私が昔住んでいた下宿がほとんど変わらない姿で建っていました。今も京都大学か同志社の学生が住んでいるのだろうなあ、と思いながら昔のことを考えました。


そして鴨川まで出て、さらに荒神橋に向かって北上すると、私の好きな場所につきます。荒神口の亀をかたどった石の横には、昔と変わらず鷺が魚を狙っていました。


鴨川の東側から石伝いに西側に渡って、再び荒神口まで戻り、昔行った洋食屋「ニュー菊水」はどうなっているのかを見に行きました。残念ながらまだフランスでの修行は終わっていないらしく、昔流行っていたレストランは寂しげに残っていました。


それから私の母校を見に行きました。相変わらず汚い学校でしたが、我々の頃よりも随分ましになっていました。驚いたのが、中核派などの立て看板の数が減っていたことです。随分平和になったのものです。入試前だったからなのかもしれません。昔は校門の前に公安が来て、双眼鏡で中の様子を覗いていたりしたものです。また、授業中にアジ演説に来る連中も居たりして、非常に時代遅れというか、時間が止まっているかのような学校でした。校舎の中を覗いて見たら、昔と全く変わっていませんでした。

日も暮れてきたので宿まで戻りました。宿に着くと、明日の夕食の予約が取れたと聞きました。祇園にある「千花」というお店です。ここは福田一也氏が日本でもっとも美味い和食の一つに挙げている店で、是非行ってみたいと思っていた所です。
部屋に戻ると、仲居さんが黒糖の入った蕨餅を持ってきてくださいました。ひんやりとして美味しかったです。いつも旅館に泊まると思うのですが、仲居さんにはいかほど心付けを差し上げるのかは悩ましいところです。大抵3000円をぽち袋に入れてお渡しするのですが、今回は何度も何度も「お気遣い頂きまして」と言われてしまい、もしかしたら少なすぎたのかもしれないと深読みし過ぎてどきどきしました。やはり日本はチップを払う機会が少ないのでやりにくいです。

そして、奥さんがくるまで暇だったので、お風呂に入ることにしました。
俵屋のお風呂は、あまり大きくは無いのですが檜の浴槽のかわいらしいものです。蓋を開けてお風呂に入ると、低い位置に取り付けられた窓からお庭を眺めることが出来るようになっていました。檜のせいか、お湯がとても柔らかく、とても贅沢な気分を味わうことが出来ました。お風呂に入っている間に、奥さんが到着した気配がしました。

浴衣を着て部屋で寛いでいたら、食事の時間となりました。これが楽しみで俵屋を選んだというのもあります。



どの料理もとても美味しかったです。中でも2枚目の写真の鶯饅頭利休仕立てというのと、3枚目の子持諸子木の芽焼、6枚目の強肴の白魚と若布に煎り胡麻がかかったものは特筆すべきものでした。日本酒も、俵屋向けに酒蔵に造らせたという冷酒を頂き、とても芳醇な旨口のお酒でした。
自分の部屋で寛ぎながら人の目を気にすることなく、こんなに美味しいものが食べられると言うのは本当に幸せなことです。お酒がとてもよかったので、つい飲みすぎてしまってすぐに眠たくなりました。食べてすぐに眠れるのも、極楽な気分です。布団の寝心地も最高で、掛け布団が羽毛布団なのもいつもと変わらず良かったです。


朝は少し早めに目覚めて、再び檜のお風呂に入りました。本当に柔らかいお湯のお風呂で、気持ちが安らぎます。ベージュ系統でお風呂の色彩はまとめられているのですが、外の庭の苔の緑とのコントラストがとてもきれいでした。


朝ご飯は、鰈の焼き物と湯豆腐でした。これもまた朝からこのようなものが食べられてとても幸せ、という感じでした。お漬物も自家製で、持って帰りたいぐらいでした。

滅多に料理の写真はとらないのですが、部屋出しだったことと、感銘を受けるほど美味しかったので、沢山写真を撮りました。

名残惜しいのですがチェックアウトをすることにしました。3月終わりから4月の初めにもう一度訪れたいと思ったので空室がないか伺ったところ、流石に一杯だとのこと。是非、近いうちにもう一度来たいと思わせるお宿でした。

俵屋を出発し、昔奥さんが住んでいた家を覗いて北野天満宮まで出かけました。MKタクシーを拾ったのですが、観光客に「道順はどうしましょうか」というのは、親切で言っているのかも知れませんが、困ってしまう人も結構いるのではないかと思いました。

梅は満開です。月曜日には梅花祭が開かれるとのこと。昨年も梅を見に来ました。


紅梅も結構植わっているというのに何で「北野白梅町」という地名なのか、可笑しくなりました。ここは都の西端です。



上七軒には、御手洗団子をかたどった提灯が沢山並んでいました。かつて北野天満宮で観梅の会があったときに、太閤秀吉に上七軒の御手洗団子を献上したところ、秀吉が大層気に入って、上七軒に近辺の御茶屋の権利を全て任せたという経緯があり、ここには御手洗団子が街のシンボルとなっているそうです。



上七軒から西陣まで歩き、鶴屋吉信で生菓子の製造実演を見ることにしました。菓遊茶屋というのが本店の2階にあって、お鮨屋さんのカウンターのように目の前で生和菓子を作ってくださるのです。抹茶も供されます。よくデパートなどで生和菓子を見るのですが、「こうやって作っているのか」という素朴な感動が味わえます。餡を、ざるのようなもので漉して、和菓子を作っていきます。見ていて本当に感心しました。

そこから、バスに乗って出町柳まで向かいました。出町柳では、「ふたば」の豆大福がおすすめです。いつ来ても行列が出来ています。四条河原町の高島屋でも購入できるのですが、出町柳商店街で並んで買うのが良いのです。

そして鴨川デルタまで歩きました。天気の良い日曜で、風が無ければ暖かい一日だったので、子供たちが沢山遊んでいました。吉田山を眺めながら、大学生活のことを薄ぼんやりと思い出していました。



その後、四条近辺を彷徨い、ようやくお楽しみがやってきました。祇園「千花」での夕食です。
千花は、八坂神社の手前にあります。賑やかな四条通からほんの僅かに南に下ったところに、店の名前が書かれた提灯が下がっています。
銀座で一流と言われるお鮨屋さんやフランス料理店に入っても緊張することは無いのですが、俵屋や千花に入るときには緊張します。
引き戸を開け、店の中に入るとカウンター席があり、予約した旨を伝えて席に通されました。
6時で早かったということもあり、我々以外の客はおらず、緊張感が高まりました。いくつかあるコースの中から、3万円のおまかせコースを選びました。

びっくりしたのですが、コースを選んだ後に家の電話番号を書いてください、と紙を手渡されました。さすが京都の店は敷居が高い。いつもならば間違いなく不機嫌になるところでしたが、今日は若干びびり気味です。
すると店の奥からご隠居と思しきお年寄りが出ていらっしゃって、どうしてこの店にきたのかということを質問されました。私は、正直に福田和也氏の本で京都の和食でお奨めだったので一度来てみたかったからだとこたえました。すると、福田先生は辛口の評論家だという話になりました。
更には、俵屋から予約を入れたので、俵屋は定宿なのですかとも質問されました。この質問にも正直に、「今回初めて泊まりました。オーナーの佐藤さんと私の会社の上司が古くからの知り合いなので」と答えました。何だか、店に入ってずっと身元調べをされている気がしてきました。というか、まさに調べられているのですが。

そうこうするうちに料理が出てきたのですが、これがなんとも言えず旨い。恐らくとても上質の素材を使っているのだろうな、というのがひしひしと伝わってきます。
お吸い物のだし、おひたしの味、何を食べてもとても美味しいのです。食べている間にも、板長さんが「東京でフランス料理は食べに行かないのか」などと聞いてこられます。私は「アピシウスに行って感心しました」というと、「うちの店には東京のアピシウスのソムリエの人たちがわざわざ食べに来る」と言う話になり、割烹で散々フランス料理の話で盛り上がりました。板長さんは最初は気難しそうな人に思えたのですが、どうやら我々は千花の試験に合格したらしく、後半になると随分と打ち解けていろいろなお話をしてくださいました。
春にもう一度泊まりで来て食事をしたい、といったところ、なかなか宿の予約が出来ないのですがここでしたら紹介できます、といってわざわざお知り合いがやっていらっしゃるホテルを紹介してくださいました。
最初は緊張したのですが、次回からははじめから楽しめると思います。
ですが、店を出て見送りをしてくださった女将さんには、「お仕事は何をなさっていらっしゃるのですか」と最後まで聞かれ、身元調べの厳しさに思わず苦笑してしまいました。

今まで知らなかった京都の楽しみ方を経験した土日でした。

2002年2月20日(水)
散髪

昔から一度でいいから坊主にしてみたいという願望があります。
以前、行きつけの床屋で「坊主にしてください」と言ったら、「頭の形が悪いので似合わない」だの「額の形も良くない」だの「仕事は大丈夫ですか?」だの言われて、結局やってもらえなかった経験があります。
その時は、友人Sが「俺も坊主にしてくるから、おまえも坊主にして来い」と言ったのも一つのきっかけでした。
結局坊主ではなく、とても短いスポーツ刈りのような髪形になってしまい、友人Sを裏切ったような気分で翌日会社に行きました。
すると、友人Sは何と昔の堀ちえみのような(古くて分からないか…。)訳のわからない髪型になっているではありませんか。
友達を裏切った罪悪感で胸を痛めた自分はなんだったんだろうと思いました。

しかし、そのとき坊主にしなくて良かったです。というのも、私はその2週間後に自分の結婚式が控えていることを完璧に忘れていたのです。
もし、坊主だったら奥さんが悲しむあるいは激怒したことは想像に難くないです。


2002年2月16日(土)
最近行ったレストラン

最近行ったにもかかわらずアップデートしていなかったレストランのまとめ。

ピッチーファー(西新宿、タイ料理)

お昼にお邪魔しました。タイラーメンとカレーのセットがあって、それを2人で注文したのですが、私の日本語が下手だったせいかカレーしか出てきませんでした。まあご愛嬌でしょう。しかしここのカレーはココナツミルクの甘味がある中でさらさらとしたルーはそれなりにスパイシーで、非常にご飯と良くあって美味しかったです。
今度夜に来て、その他の料理を食べてみたいと思いました。昼は千円出せばお釣りが来る安さだったと記憶しています。インドカレーよりタイカレーの方が個人的には好きかも。


アロマティカ(中野坂上、イタリアン)

こちらは西新宿というか中野坂上というか、山手通りの初台の交差点からしばらく北上するとある、広尾のアロマフレスカの姉妹店です。
アロマフレスカは勿論ご存知の方は多くいらっしゃるのでしょうが、非常にモダンなインテリアの、ライトなイタリアンを供する人気のレストランです。
アロマティカはリストランテではなく、カフェを名乗っており、カウンターもありテーブル席もある、一人出来てもおかしくないお店です。
4品ほどの盛り合わせのアンティパストとパスタ、デザートを注文しました。
アンティパストはこじんまりときれいに盛り付けがなされ、パスタも(確か茸のタリオリーニを注文したと思う)茹で方に気を使ったもので、満足の行く出来だったと記憶しています。
カウンターで女性が一人でグラスワインを飲みながら食事をしているのも様になっていました。
スタッフの数が客席数に対して多く、しっかりとサービスをしようということなのかなあと思いました。
おしゃれで気軽なレストランをお探しなのであればお奨めです。価格もリーズナブル。場所は不便かも。車を止めるのは結構大変そうです。


スクレ サレ(四谷三丁目、フランス料理)

フランス料理というか、ビストロというか。あまりかしこまらないフレンチレストランです。
夜遅くまで、しっかりとした料理が食べられるという非常に有難いレストランです。
何を食べたのかは完璧には思い出せないのですが、前菜に鴨のパテ、メインにお肉(鹿だったか、ウズラだったか忘れました)に赤ワインのソースがかかったものを食べました。パテはもう少しスムーズだったらいいなと思いましたが、それでも充分に美味しく、お肉も肉そのものの味を殺さないでソースと絶妙のコンビネーションでした。値段もそれほど高くなかったように記憶しています。
とても便利なところにあるというわけではないですが、わざわざ出かけていっても外れは無いと思います。


アピシウス(有楽町、フランス料理)

言わずと知れたアピシウスです。昔、私はフランス料理を食べに出かけて、2回連続で食事中に気分が悪くなったことがあり、それ以来フレンチからは足が遠のいてしまっていたのですが、最近フランス料理の美味さに目覚め、アピシウスには是非行きたいと思っておりました。
平日のお昼に仕事がらみでお邪魔しました。ですので残念ながらとても有名なワインリストを拝見することは出来ず、次回の楽しみに取っておこうと思います。
サービスは一流、インテリアも非常に重厚で、飾ってある絵もどこかで見た絵が多く、やはりここは日本でもっとも一流のフランス料理店なのだということを思い知らされます。
料理には圧倒されました。平べったい味がする店が多い中で、ソース一つをとっても立体的な深みのある味がしました。鴨肉のソテーはとてもおいしかったです。
大事な仕事の話をしながらなので、食べ物に集中できなかったのが少し残念です(やはり、流石に仕事はちゃんとしないと宜しくない)。
前菜とメインを頼むとおなかが一杯になってしまうので、ワインさえ頼まなければ決して高くないお店だと思います。というと、ワインがバカ高いのでは、と思われるかもしれませんが、ここで飲むワインは保存状態も非常に良く、サービスも良い上に、変なレストランでの値段よりも圧倒的に割安だと、私の同僚2人が口を揃えていっていました。
ここは今年の奥さんの誕生日兼、結婚記念日にディナーに行こうと思っていたのですが、残念ながら2人ともインフルエンザでダウンしたため思いかなわず。
現在自腹で来たいレストランナンバーワンです。


チャイナハウス龍口酒家(幡ヶ谷、中華薬膳料理)

ここは凄いです。圧倒されます。京王線幡ヶ谷の駅ビルの中にある、一見どこにでもありそうな中華料理屋さんなのですが、実はとんでもなく気合いが入った中華料理を、さりげなく出してくるという恐ろしい店です。これは、シェフの石橋さんの才能なのでしょう。
変わった食材、例えば鹿肉とか、すっぽんとか、ユリのつぼみとか、食べたことの無いものが玉手箱から出てくるように、次から次へと供されます。
ここにはメニューというものは無く、石橋さんがいろんな料理を作ってくださって、お腹が一杯になったらご馳走様を言うというシステムです。
是非、カウンターに座って石橋さんの仕事ぶりを拝見することをお勧めいたします。ここは、本物です。説明しにくいのですが、行かれたらわかると思います。

2002年2月11日(月)
大学受験


連休は風邪を引いて、奥さんと一緒に寝込んでいました。奥さんの具合がよくなかったので、休日診療所を調べて奥さんを連れて行きました。狭い診療所は風邪を引いた人たちで込み合っていたのですが、その中でも翌日に大学受験を控えた受験生がお父さんに連れられてきていたのが一番気になりました。
狭いので、患者さんが何を言っているのかがすべて筒抜けで、自分が浪人生だったときのことを思い出しました。

浪人生だった頃は、自分の一年後を思い浮かべられないことでとてつもない深い不安を感じていました。どこの大学に通っているのかも分からず、まだ浪人しているかも知れず、自分の先行きが決まらない不安感で押しつぶされそうでした。
勉強ばかりしていると流石にやっていられないので、息抜きで遊ぶのですが、遊んでいても後ろめたさから心から楽しめないのです。そして、現役で大学に行った連中はとても楽しそうに見えました。
今となってはいい思い出なのですが、当時は大袈裟にも精神に異常をきたすのではないかと思っていました。
今からもう10年以上前の話なのですが、今でもたまに大学受験の夢を見ます。


2002年2月9日(土)
洗車


ボディコーティングを行った後、初めての洗車に行きました。
私の家の近くに、大きな洗車場というか洗車センターがあって、そこにいつも行っています。
でも、いつも思うのですが、もくもくと車を磨いている人たちが一杯いて、なんだか修行のようです。こんなにきれいな車をさらに磨くか、という感じです。
本当に汚れている車に乗っている人は、そもそも洗車場にはあまりいないような気がします。

ポルシェに乗り換えて、楽になったのはアルミホイールの掃除です。以前はBBSのDTMを履いていたため、掃除が大変でした。ケミカルを使っても結構大変だったのですが、今の車だとスポンジで楽に汚れが落ちます。

やはり高速で飛ばすせいで、フロント部分に石跳ねが相当ついてきてしまいました。これはしょうがないことでしょう。博物館に飾っているわけではないのですから。

こすらなければ取れないような汚れはほとんどつかないので、水圧で洗い流した後にウエスで拭き、さらに水で洗い流した後にフクピカで仕上げる、といういつものパターンです。ポルシェの洗車で気をつけているのは、やはりエンジンルームにあまり水を入れないこと。わざわざカバーをかけたりはしないのですが、スプレーガンを直接向けることはしないようにしています。ただ、リアウイング部分がメッシュになっているため、水滴をふき取るのが一苦労です。
タイヤのワックスをスプレーすると、ボディに若干飛沫がかかるのが嫌で、使い終わったフクピカにタイヤのワックスを付けて塗るようにしています。

車は人に洗って貰えばいいのかもしれないのですが、自分で洗うと自分の車のことが良く分かります。ホイールをこすっていないか、石跳ねはどの程度ついているのか、駐車場でドアをぶつけられていないか、タイヤは偏磨耗していないか、ワイパーのゴムはへたっていないか、などなど。休日の貴重な時間を洗車に費やすのはもったいないような気もしなくは無いのですが、楽しいのでまあいいか、と思いながら作業をしました。

2002年2月8日(金)
ラーメンマン


昼、会社の上司が「あまり時間がないのでラーメンでも食べに行こうか」というので、赤坂の一点張という非常に男前な名前のついているラーメン屋に行きました。
ここは私は昔からかなり気に入っていて、近くにじゃんがらラーメンがあるのですがこちらに来ることの方が多いです。
一応この店の売りは味噌ラーメンなのですが、醤油ラーメンも捨てがたいし、塩ラーメンもとても美味しいのです。かつては必ず味噌を食べていたのですが、最近あっさりした味付けのラーメンが好きなので塩を食べる機会が多いです。麺は縮れ麺で少し太め、量も割とあります。味噌は少しこってりした感じ、塩はあっさりとしたスープの中に少しニンニクが入っていて、物足りない感じにはなりません。昼に良く行くのですが、たまに夜行くとラーメンを作っている人たちが昼の人とは全く違います。私はどちらかというと昼の味の方が好きです。
じゃんがらはお昼時、夜にはいつでも行列が出来ています。じゃんがらから僅か100m足らずの距離なのですが、一点張も昼時には行列が出来ていることが珍しくありません。赤坂のお鮨屋さん、まね山さんとお話していたら、まね山さんが小さな頃から一点張はあったそうです。

夕食は、奥さんが友達と食べてくるといって出かけてしまったので、仕事が遅くなったこともあって一人で食べなければいけなくなりました。先週も行ったのですが、六本木のビストロマルズのカウンターで一人で食べようと思って近くまで行って電話してみたところ、残念ながら満席。昨日お鮨を食べたけどまあいいか、と思って山海に行こうと思ったのですが、よく考えてみると会社の師匠がお客さんを接待しているということを思い出しました。

仕方がないのでビストロマルズの近くに来てしまったこともあり、すぐ近くのラーメン屋ザボンへ行くことにしました。昼、夜とラーメンを連続で食べているので、ラーメンマンか中国人になってしまいそうです。まあ、二夜連続で鮨を食べるのとあまり変わりがないか、と自分で自分に言い訳しながら店に入りました。ここは一度行ったことがあったのですが、豚骨風味なのにとてもさっぱりとした和風のスープを出すお店で、かなり気に入っています。
今日発見したのですが、ここはしいたけのだしを使っているので、和風の味がするのです。前回気がつかなかったのですが、具の中にも薄切りのしいたけが入っていました。豚の背脂も入っているのですが、くどくなくておなかにもたれません。鹿児島のラーメンだそうです。

しかし、金曜日の夜の六本木には客引きが一杯いるのですが、だれも私に声をかけてくる客引きはいませんでした。どういうことなのだろう。
スクエアビルから六本木の交差点を抜けて乃木坂の方まで結構歩いたのですが。

考えられる理由。

1.人相が悪い体の大きい30の男は危険人物に見えた(確かにいつもしかめ面で歩いている)
2.キャバクラに行くには見た目がまじめすぎる(いま、「キャバクラ」という単語が一発で変換できなかった。「ゲーセン」はかつて一発で変換できたのに。これはやはりマイクロソフトで日本語辞書を作っている人の生活がにじみ出ているのでしょうか。)
3.貧乏に見えた

まあ、まっすぐ家に帰りたかったので邪魔をされなかったのは良かったです。
2002年2月7日(木)
季節外れの鰹


今日は、お客様の接待で銀座の久兵衛に行きました。久しぶりで行ったのですが、上手な板前さんに握っていただいたこともあって、前回行ったときよりも随分美味しかったです。前に非常に不愉快な思いをした店員の態度は、今回に関しては問題の無いレベルになっていました。和服の似合う美人なのですが。
今日握っていただいた板前さんは久兵衛一筋44年の大ベテランの方でした。お客さんが見えるまで、板前さんが気を使っていろいろ話し掛けてくださいました。

待っている間、隣のお客さんがつまみで食べているのが、何と鰹。まだ2月ですよ。初鰹は、目に青葉の季節と決まっているはずなのに。板前さん曰く、最近は水温が高めの傾向が続き、冬の魚は不漁で、暖かいときの魚が変な時期にとれるそうです。これも、地球温暖化のせいかもしれません。

3ヶ月もカレンダーが先に進んでしまっているので、あと一月もすると、スミイカの子供や新子が食べられるという物凄いことになってしまっています。
2月上旬といえば大雪が降っても可笑しくないのですが、今日の東京はとても暖かく、なんだか世の中のリズムが狂っている感じがします。

天変地異が起こりそうで、気持ち悪いです。大地震が来なければいいのですが。ちょっと怖い今日この頃です。
2002年2月6日(水)
個人タクシー


仕事柄タクシーに乗ることが多いのですが、結構いろんな運転手さんがいらっしゃいます。
昔室井滋さんが、タクシーの中で生活している男やもめの個人タクシーの運転手さんの話を週刊文春に書いてらっしゃいましたが、私も似たようなタクシーに乗ったことがあります。タクシーに乗り込むと、生活臭がするのです。それも、おやじ臭いのです。一般的に、個人タクシーの方が法人に比べてきれいでいい車を使っていることが多いのですが、あくまでも個人事業主のため必ずしもきれいにしているわけではなく、たまに恐ろしく外れの個人タクシーに乗ることがあります。

昔ひどかったのは、ちょうちんのライトは薄暗く、車はぼろぼろ、シートもぼろぼろというどう考えても20年ぐらい乗っているとおぼしきおんぼろ個人タクシーを拾ったことがあります。

今日は、たまにいる、超年をとった運転手さんの車を拾ってしまいました。前にも同じ目に遭ったことがあるのですが、じいさんのドライバーだと、まっすぐ走っているにもかかわらず、手が震えているためかハンドルを小刻みに左右に切るのです。本人は気付いていないのかもしれませんが、乗っているほうはたまったものではありません。

前の会社では無線で個人タクシーを呼んでいたのですが、1642という車番を持った森川さんという方は感じが良かったです。いつも「森川さん、有難うございます」といって乗っていました。よく前の会社の近辺を流していらっしゃったので、何度となく森川さんのお世話になりました。道も良くご存知で、「急ぎで行って下さい」というと目標時間にはちゃんと到着するという、まさに「仕事人」という感じのドライバーでした。

最悪だったのは、ひげのおやじ。このおやじ、態度が悪いだけでなく、タクシーという密室に2人でいるにもかかわらず、とてつもなく臭いおならをするのです。死ぬかと思いました。車番はたしか184で、無線の配車の時に「184番だけは頼むから止めてくれ」、とお願いしていました。

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