フランスドライブ旅行その2 Beauneへ
パリの朝
昔、関西にいた頃「探偵ナイトスクープ」という、関西では大人気だが東京ではまったく視聴率の取れないTV番組で、「ネスカフェのコマーシャルで『アムステルダムの朝は早い』といっていましたが本当ですか、調べてください」というネタをやっていた。
パリの朝は、私にとっては結構早かった。なぜなら、時差ぼけで4時半に目が覚めてしまったからだ。日曜の朝なので、ホテルの周りはかなり静かだった。暫く我慢をしていたのだが、退屈でしょうがなくなり、いつでもどこでも無限に眠れるという特技を持つ奥さんを起こして6時から散歩することにした。
カフェで朝食を取ろうとしたのだが、爽やかな日曜の朝、というより土曜の夜の続きの人が多くて閉口。まるで日曜日の六本木の朝6時、といった状態だった。
カフェ1軒目は、ずいぶん待ってもギャルソンが相手にしてくれず、ラジオの音が非常にうるさいので奥さんが切れて、退散することにした。
その向かいのカフェで、コーヒーとクロワッサンを食べた。クロワッサンが結構うまかった。そこも、夜の続きの人たちが一杯いた。近くにクラブがあったからだろう。

Sensで寄り道
チェックアウトして一路Beauneを目指す。今日が旅行中最も長い距離を走る。パリから高速でまっすぐ行くとおよそ300km程度。東京から名古屋に行くのと同じぐらいの距離である。パリから、パリ外環、A6を走る。
日曜の朝ということもあって、スムーズにパリから脱出することができた。170kmで走ってもなかなか前の車に追いつけない。
日本の高速道路と圧倒的に違うのは、
1. 追い越しを終わるとどの車も走行車線に戻る。たとえ200kmで走っていたとしても、ずっと追い越し車線は走らずに走行車線に戻る車が多い
2. 日本でありがちな、高級車がえらそうに追い越し車線を走る、というのはない。たとえばフィアットプントが170kmで走っていたら、ベンツだろうがポルシェだろうが(ほとんど出くわさなかったが)道を譲る
3. 道路の幅が、日本の高速道路のそれよりも広い上、カーブの半径も通常は非常に大きく、快適に走れるようになっている
というわけで、アベレージのスピードが非常に高く、老若男女、相当のスピードでかっ飛ばしている、という感じである。大型トラックも少なく、変な運転をする人も少なかったので、非常にストレスが少なくドライブできる。
180kmで走る車が、追越をかける必要がなければ一番端の走行車線まで戻る、などということは日本では考えられないだろう。
あまりにも快適なドライブだったので、午前中にBeauneについてしまうかもしれなくなり、途中でSens(サンス)によることにした。

サンスは、ガイドブックによると「ローマ時代から交通の要衝として栄えたブルゴーニュ地方の玄関口」だそうだ。ヨンヌ側のほとりにある、小さくてかわいらしい町である。
日曜の朝ということもあって、とても静かな街だった。街の中心に車を止め、教会や市役所を見て回りながら散策した。
写真をご覧になってもお分かりのとおり、小さな街だが至る所に花が飾られていて、白い家の壁とのコントラストが美しい。
街を散歩しているうちに、表通りから一本入ったところをうろうろしていたら、何やらいい匂いがするので、建物を覗き込んでみると、おじさんがパンを焼いていた。
表に回ってみると、パン屋さんで、地元の人がパンを買いに来ていて、結構繁盛していた。
朝食は摂ったのだが、旅の記念と思い、こじんまりとした店に入ることにした。しかし、店自体は非常に小さいのだが、購買意欲をそそるディスプレーの仕方に感心した。外からもパンやお菓子が見ることができ、「これ、おいしそう」と思わせる仕掛けになっている。
店は、おばちゃんが一人で切り盛りしていた。へたくそなフランス語を無理やり使い、クロワッサンとラズベリーのタルトを注文。
丁度ラズベリーのシーズンだったらしく、どこに行ってもラズベリーが食後に出てきたような気がする。日本で食べると、酸っぱいものが苦手な私には耐えられないが、ラズベリーもブルーベリーも、フランスで食べるととてもおいしい。
お店の立ち並ぶ、とはいえほとんどの店が閉まっていて人気のあまりない通りを奥さんとぶらぶら歩いていると、突然「アチョー」と言う声がする。
ふと見ると、高校生ぐらいのお兄ちゃんが、私のほうを向いてカンフーの格好をしているではないか。あまりに平和な街なので、突然襲われたりするなどということも想像出来なかったので、とっさに身を守らねばともまったく思えず、ただ呆然としてしまった。
何事か、と思ったが、どうやら彼は若干知恵遅れなのだろう、我々東洋人を見て、「東洋人=カンフーの遣い手」と思ったらしい。やはり、中国人と日本人の区別をつけろ、というのは無理な注文である。
暫く「アチョーアチョー」と言いながらついてくるので、意味はないとは思いながらも英語で「悪いけど、カンフーやらないんだ」と言い続けると、彼は何処かに行ってしまった。不思議な体験だった。

Chablisへ
SensからYonne川のほとりを走る一般道を行くことにした。Auxerre(オーセール、このスペルからは中々発音できない)を経て、白ワインで有名なChablisへ向かった。
Chablisの街に入る前に、道の両側に一面にブドウ畑が広がった。8年前に、シアトルからロサンゼルスまで車で1200km以上ドライブをした時に見た光景が思い出された。
日曜日ということもあって、Chablisの街中には市場が立っていた。目抜き通りが歩行者天国。肉屋で鶏がとさかがついたまま、首つきで羽だけ落としてたくさん並んでいた。また、日本ではないのだろうがチーズ屋、ソーセージ屋が路上に並んでいた。見たことのないきのこや野菜を売っている屋台もあって、興味深かった。
よく、渋谷の路上などでシシカバブを売っているのを見かけるが、フランスでも発見。犬が、よだれをたらしながら、しかしお行儀よく、店の前で座っていた。
観光客だけでなく地元の人たちもたくさん買い物をしていた。
Chablisワイン生産者協会の様なところでワインの試飲をする。置いてある銘柄が若干限られていて、ドイツから来たと思しき観光客を押しのけ(といっても我々も国籍不詳のアジア人観光客なのだが)、試飲をさせてもらった。でも、美味しくなくてがっかり。
その後街の中でうろうろし、昭和天皇も泊まったといわれるホテル兼レストランを発見。中庭がお花で綺麗なところだった。中は立ち入らなかったのだが。

Chablisの街では、色々な銘柄を試飲できるところを発見できず、残念だった。結局ワインは買わずに退散した。

ChablisからDijon経由Beauneへ
Chablisの街からDijonへの道の途中にMichelinビバンタム君のマークがついているレストランを発見。Chablisの街の市場で美味しそうな食べ物を色々見ておなかが減っていた我々は、取り急ぎAlise
Saint Rhoneに向かうことにした。ブルゴーニュ運河の横をドライブする。車で飛ばしているときは、「何でフランスの川は石ころがある河原がなく、すぐに革の横に緑が広がっているのか」といぶかしく思っていたが、後で地図を見ると運河だったことがわかった。やはり、昔は船が主要な物流手段だったのだろう。さもなくば大量のワインを出荷するのも大変そうである。


空腹に耐えながら、レストランを目指した。びっくりしたのは、ごらんのように非常にのどかな田園風景が広がっていたのに突然核関連工場が現れたこと。平和そうな田舎の街に、無粋な工場がいくつか立ち並び、さらにグロテスクな黄色の標識には核物質を表すマークが描かれていた。フランスは核開発に積極的だったことが脳裏に思い出され、平和そうな景色とのミスマッチが強烈だった。
核工場から暫く走って、陸の中腹に目指すレストランを発見。しかし嫌な予感は的中し、残酷なことにRestaurant
Completeという札が下がっていた。がっくし。
途中で耐えられないほどおなかが減って、適当にどこかで何か食べたくなったのだが、日曜日の昼下がり、まじめに働いている店はほとんどなかった。イメージとしては箱根に上がる国道1号線を走っているけれどもどこの蕎麦屋も、ドライブインも全部閉まっている、という感じだろうか。
ようやく小さな街の教会の駐車場に車を止め、街の中をすきっ腹を抱えて歩いていると、店先から食べ物のにおいがしてきた。ようやく食べ物にありつけるか、と思ったのだが、よくよく見ると、小さな雑貨屋さんの前の駐車場で、家族が太陽の下ゆっくりランチをとっているだけだった。しようがないので、雑貨屋さんで(当然英語は通じない)奥さんとコーラを飲んで、何とか空腹をしのいだ。
暫く運河の横のドライブを続けるうちに、浮き輪を持っている子供たちがどこからかうようよとたくさん現れて、不思議に思っていたら、その先に池(川か湖かも)があって、みんなが水浴びをしていた。のんびりしていてよいものである。
ようやくDijonに入り、町外れに湖があったので休憩がてら車を止める。なぜか駐車場の入り口に車が一台何とか通れるぐらいの間隔で巨大な石が左右に配してあった。通りにくいことこの上なかったのだが、おそらくこれは駐車場でキャンピングカーを乗り入れてキャンプしてしまう輩を入れないための工夫だと思われた。
歩いて湖の周りを散策することにした。白鳥の群れがいて、カメラを向けようとしたところ、なんとトップレスのおばちゃんとお姉ちゃんがいることを発見。写真を撮っていると誤解されても腹立たしいし、田代まさしじゃあるまいし、と思って写真は断念。
湖で暫く休憩し、Dijonの市街を抜けて一路今晩の宿のあるBeauneへ向かう。N74というのんびりした道をたまたま通ったのだが、結果期せずしてCote
du Rhoneのワイン街道を行くことになった。
道に迷ったのだが、なんとか宿のHostellerie de Levernois(オステルリー・ドゥ・ルヴェノワ)にたどり着く。大きな門をくぐって細かい砂利が敷いてあるアプローチを暫く走ると、小柄なおじさんが飛び出してきて迎えてくれた。さらにおじさんは車の前をわざわざ走って駐車場まで案内してくれた。綺麗な庭があるホテルだった。


Check-inのデスクなどはなく、部屋にそのまま通された。左上の写真の白い建物が宿で、部屋の前にご覧の通り広大な緑の庭が広がっていた。バルコニーに出てくつろぐと最高の気分。バルコニーで本日のディナーでどんなワインを飲むか考えるのが非常に楽しかった。
部屋はかなり大きく、こんな感じだった。
ランチは食べ損なって、コーラを飲んだだけだったので、部屋にあった洋ナシ(って当たり前か)と桃を奥さんと分け合って食べた。というよりがっついたというほうが正確な表現かもしれない。ランチを食べ損なったことが後で悲劇を生むことは、この時点ではまだ分かっていなかった。
ヨーロッパは日が長いということもあるのだろうが、遅くならないと人々は夕食を取らない。我々は空腹だったことも有って、7時半というかなり早めの時間からディナーを手配してもらうことにした。
駐車場に車を止めたときにも思ったのだが、かなりベンツのSクラスやBMWの7シリーズ、サーブなど高級な車が多い。やはり我々のような一般人が来るような店ではないのだろう。

Beauneからすぐ近くにあるPommardというところのワインを注文した。
やはり地酒でしょう。
飲んだ感じは非常に軽く、私たちが期待していたフルボディという感じではなかった。
でも非常に美味しかった。
しかし、これを飲む前にグラスのシャンパンを飲んで、さらに昼食をとらなかった私のすきっ腹にPommardを流し込んだことで、悲惨な事態が私を待っていた。

私が注文した、バターたっぷりのエスカルゴが入ったスープ。スープの上にかぶさったパイ生地を、スプーンでスープの中に落っことしていただく。
さくさくしたパイ生地と、濃厚なスープ、そして中に入っているエスカルゴの食感が複雑に絡み合って非常に美味。
、

そして私の大好物のフォアグラ。とても脂が乗っていて、日本で食べるのとは全然違う。お皿の上に透き通っているが若干浅葱色がかった脂が流れてくる。
当然奥さんの皿から奪ったことはいうまでもない。

私が頼んだのは、鳩のローストとフォアグラのグリル。
しかし…。
バターたっぷりのエスカルゴのスープが悪かったのか、奥さんから奪ったフォアグラの脂が悪かったのか、はたまたPommardが悪かったのか、空腹で酔っ払いすぎてはいけないと食前に飲んだ肝臓の薬が悪かったのか、奥さんいわく私の顔が土気色に変色して、気持ち悪くなりディナーを中座してトイレに篭城することになった。
奥さんはあっさりした牛肉のステーキを大変美味しく戴いていたのだが、量が多くて半分しか食べられず。
わたしはトイレから何とか戻ってきたが、残念ながらギブアップして部屋へ直行。親切にもデザートを部屋まで持ってきてくれた。

ご覧の通りまさに爆死。10年近く前にニューカレドニアに行ったときも、同じようなことが起こった。空腹にシャンパンを飲み、ワインを飲んで脂が強い料理を食べると、どうやらこのようになる体質らしい。
フランス食道楽旅行のはずが、いきなり我々の行く先に暗雲が立ち込めた感じ。
これから毎晩どうすればいいのか???
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