フランスドライブ旅行その1 パリ到着


飛行機

今回はエールフランスにした。成田を夜の11時に出発し、パリに朝の4時15分につく、という結構物凄いフライト。
しかし、私にはそのほうが好都合だった。なぜなら、かつては飛行機であまり眠れなかったし、また時差ぼけにめっぽう弱いので、東京時間の夜を飛行機の中で迎えるというのはある意味理想に近いからである。
ちなみに、エールフランスのビジネスクラス以上もしくはフリークエントフライヤーは、朝5時から到着ラウンジで朝食、仮眠、シャワー、インターネットアクセスなどのサービスを受けられる。シャルルドゴール空港到着ラウンジは非常にきれいでお勧めだった。しかし到着したゲートからかなり長い距離を空港内で歩かなければならない。人気がないので結構怖いかもしれない。


借りた車

Hearzは、エールフランスとタイアップしているため、前述のナイトフライトに配慮して、なんと朝の4時からカウンターが開いていた。しかし、われわれはEuropcarで予約をしていたために、6時まで到着ラウンジでゆっくりとくつろいだ、というか、待たざるを得なかった。

だが、早速にトラブル発生。カウンターで学生風の英語を話す女性に予約の内容が書かれたプリントアウトを見せ、彼女はその後なにやらごそごそしていたのだが、ずいぶん時間をかけた後にわれわれにあまりうまくない英語でこう告げた。
「車庫のシャッターが壊れていて、予定の車が出せない」

朝からこれである。どんな車が代わりに来るかわかったものではなく、変な車が来てしまうと予約時の苦労が水の泡と帰すので、一生懸命彼女に伝えた。
「フランスの車が好きで、Peugeot307にぜひぜひ乗りたいので、何とかしてくれないか」
彼女はあいまいに笑って、何とかしてくれそうな雰囲気だった。
そして、しばらく時間がかかるから、と言うのでカウンターの前にあったカフェテリアであまりおいしくないクロワッサンを食べながらコーヒーを奥さんとすすっていた。
それから暫く経って、彼女が用意ができたことを告げたので、キーを受け取り、指定されたパーキングロットに向かった。そこで待っていたのは、Peugeot307の、ほとんど新車だった。走行距離は、たったの8900km。

初めて見る、P307だった。結構かっこいい。色も、私の好きな水色系だった。私のかつての愛車Z3も、これより若干薄い水色で、中古で売った時には「不人気色なので下取りが低い」と言われた。実は今でも根に持っている。
走り出す前に、一つ不安になった。予約の段階ではディーゼルエンジンの車に乗る予定だった。欧州では環境の面からもディーゼル車には人気があると聞いていたので、ディーゼルでいいかと思っていたのだが、なんとなくこの車のエンジン音はガソリン車のそれだった。間違って給油したら目も当てられないので、奥さんにカウンターまで聞きに行って貰った。そうすると、やはりガソリン車だったことが判明。確かめておいてよかった。しかし、最初からトラブル発生で、何となく嫌な予感がする旅の始まりとなった。言葉が通じなければ、大変なところだった。








パリ市内へ

シャルルドゴール空港から、土曜日の朝焼けの中を一路パリ中心へ向かうことにした。こう書くと、颯爽とした印象を受けるかもしれないが、本人は結構緊張していた。と言うのも、パリの交通事情は非常に悪いと聞いていたからだ。運転も荒く、下手するとラウンドアバウトの中でぐるぐると回っているだけでなかなか行きたい方向へ行けない、などとも脅されていた。

少しびびりながらも、久しぶりの右側通行での運転を始めた。P307は、スプリングは硬めなのだがロールするという不思議な感触の車だった。レンタカーの割に快適装備がいろいろついていてびっくり。キーレスエントリー、CDプレイヤー、エアコン、パワーウインドなどなど。随分と文化的である。
お恥ずかしながら私はフランス車=猫足という程度の知識しかなかった。正直言って、フランスの車を運転するのは初めてである。正確には、かつてトスカーナを車で回ったときに、Renault Meganeのファミリーバンみたいなのを運転したことがあるのだが、あれは私の頭の中では乗用車には区分されない。

P307のハンドリングはクイックで、ダイレクト感が非常に強い。また、小回りが利くので非常に便利である。排気量は1600ccだったが、実用には全く不足はなかった。

バカンスシーズンの土曜の朝ということで、パリ市内への道は非常に空いていた。最初は恐々運転していたのだが、空いていて気持ちがいいものだから160kmまでスピードを出す。それでも横からびゅんびゅん抜かされる。もしかしたらイタリアよりもみんなスピードも出すかも、と思ってフランスもいい所じゃないか、と内心ほくそえんでいたら、見事に飛ばしすぎで分離を行き過ごしてしまった。
まだ、フランス語の表示に慣れないため、行きたい方向に戻るのに四苦八苦した。自分が地図上のどこにいるのかが、なかなか分からないのである。
苦労しながら、何とか市の周辺を走る外環道路を戻って目的地のホテルを目指した。市内に入ると、一方通行が多い上、道が平行に走っていないので、一度道を間違えると方向感覚を失いやすく、非常に大変であった。

それでも、何とかホテルにたどり着いた。まだ、道は全然込んでいなかった。ホテルには駐車場がないというので、近くの公営駐車場に車を止めに行く。一日24ユーロ。結構なお値段だ。それより何より、自走式立体駐車場で、螺旋状の通路を下ったのだが、非常に幅が狭い。とても難しい。かなりスリリング。パリの人は運転が上手いのか???



パリについて



パリは、久しぶりである。学生の頃に一度、社会人になって2年目に出張でパリのオフィスに行った2度だけである。
学生の頃は、貧乏旅行だった。腹を空かせてチュルイリー庭園で近くのデリから買ってきた牛のトマト煮込みを食べたことを、鮮明に覚えている。懐かしいので、今回も行ってみることにした。夏のパリは、地元の人たちはバカンスに出かけてしまい、われわれのような観光客ばかり。庭園の中に、朝の明るい光の中で移動式の遊園地が、何とも白々しく光っていた。メリーゴーラウンド、回転式の遊具、ゴーカートなどなど。夜には眩しい光に彩られて、夏の夜を演出するのだろう。

昔勤めていた会社のパリオフィスを、6年ぶりに訪れた。以前はユーロ通貨も導入される前で、パリでフランスの金融商品が取引されていた。ユーロが導入された現在では、どこの金融機関でもロンドンに市場関連の業務を集中させているので、仕事でイギリス以外の国を訪れることは稀になっている。
余談になるが、その出張は、週末に東京を出て、ロンドン、パリ、フランクフルト、ミラノを回り、翌週月曜日には東京オフィスに出社する、というハードなものだった。ドイツには初めて行ったのだが、たった18時間しか滞在しなかった。その後ドイツを訪れる機会は、まだ来ていない。





昔の会社は、第一次世界大戦でフランスの戦費調達を手伝い、勝利に貢献したということで、パリの中心部にある某広場にオフィスを与えられた。現在では高級ブティックが立ち並ぶ中に、いくつかの他の金融機関とともに、世の中の99%以上の人には何の関係もないことを象徴するかのように無愛想な看板を小さく掲げている。
欧州では貴族政治というものが実際に存在し、富裕層は政治家でもあり貴族でもあっただろう。パクスアメリカーナを標榜する新興国の金融資本の出先は、外から見ると石造りの愛想のない、何の変哲もない広場を囲む建物の一部だが、ドアを開けて一歩その中に足を踏み入れれば、「これが同じ会社のオフィスか」と瞠目するほどに豪奢な内装を纏っていた。
外から見ると何も変わっていないように見えた。唯一変わっていたのが、看板の会社のロゴだった。客を厳しく選別する金融機関だった昔の会社が、そうではない金融機関に買収されたせいである。そのロゴは、メジャーリーグ中継を見ているとキャッチャーの後ろに広告が出ていたりして、時代の変化を痛感させられる。



パリでの買い物

今回の旅行で都会に行く機会はパリとミラノしかなく、それぞれ一日ずつだったので、パリでの買い物と言うのも非常に大事なイベントだった。
私が今回特に買いたいと思っていたのは、Berlutiの靴だった。日本での価格の半分から三分の二程度の値段で靴が買える、と聞いていたので、サラリーマン生活に復帰する前に上質の靴を手に入れておこう、と考えていたのだ。

気温は、30度を下らなかった。そんな中、散歩がてらラファイエットから程近いホテルから、シャンゼリゼから凱旋門方面に歩いていった。そしてGeorge V大通りの手前の、Marbeuf通りを南下したところに、件の店はあった。

しかし、ショーウインドーはがらんどうで、入り口にはバカンス中は閉店で、その後内装工事を行う旨の張り紙が出ていた。残念だった。だが、BerlutiのHPからプリントアウトを妻が取ってきていて、見るとパリだけでなくミラノにも支店があると書いてあったので、旅の後半に期待することにした。

色々とウインドーショッピングをして回ったのだが、パリはこの時期(お盆過ぎ)、半分ほどの店が閉まっていた。東京だと、閉まっているのは年末年始とお盆の3日間程度、という感じだが、やはりフランス、夏休みを2週間とるというのもどうやら当たり前らしい。日本とアメリカにしか住んだことがない私は、そんなことは全然知らなかった。しかし、後ほどフランスはまだましらしい、ということをミラノで思い知らされることになろうとは、思いもしなかった。













とはいえ、パリがバカンスで休みだったら、ミラノが開いている可能性は低いかもしれない、と思い、パリでもう一軒、JohnLobbに行くことにした。

John Lobbでは、非常にプレーンな靴を購入。最初はモンクストラップの靴が欲しかったのだが、残念ながら私のサイズがなく、断念した。

あとはKitonに行って、普通のものなら5着は買えそうなくらいのお値段の白いシャツを購入。物欲が満たされたところで、食事に行くことにした。


パリでのランチ

パリについて初めてのちゃんとした食事を取るのを、どこにすればよいか結構頭を悩ませた。
買い物ついでにどこかで食べられるといいな、と思い、Michelin 一つ星がついたレストランをいくつか探し出し、ホテルのコンシェルジュから予約をしてもらうことにした。
結局、ショッピングしてからすぐ寄れるGeorge V通りのMarius et Janetteというシーフードレストランに予約をした。私は、以前とてもヘビーなフランス料理を食べて気持ちが悪くなったので、飛行機の疲れを考えると軽いシーフードがよいのでは、と考えたのである。

どういう格好をしていったらいいか、はっきり言って判りかねたので、コンシェルジュに聞いてみた。すると、ジーンズ、スポーツシャツはNGで、ジャケットは要るかと聞くと、「こんなに暑いのだから要らないかもしれないよ」とのこと。念のため、30度はあろうかという炎天下、ジャケットを持って出かけることにした。

少し早い時間だったので、われわれ以外にはあまりお客さんがいなかった。外で食べるか、中で食べるかを聞かれたが、あまりの暑さに閉口し、店内で食べることにした。内装は、ヨットのよう。私はサーモンのタルタルと、オマール海老をスチームしたものを頼んだ。タルタルは、サーモンの脂とハーブの相性が非常によく、とても軽い食べ口。上に振ってある岩塩もアクセントとして非常によかった。オマール海老は、メニューの中でダントツに値段が張るということに後で気がついた。爪のところが味が濃くてとてもおいしい。胴体部分とまったく味が異なって、先に胴体を食べてから爪を食べればよかったと後悔。塩だけのきわめてシンプルな味付けだが素材の味が活きていてとてもおいしかった。




パリ、その他

ホテルはAmbassador Concordだったが、きわめて普通のホテルだった。これで285ユーロは高いぞ。でも、朝の8時から部屋を使わせてくれたのは、長時間飛行機に乗ってきた体には有難かった。結構大規模なホテルで、日本人も多かった。免税店も近くにあるので、日本人ターゲットのホテルだったのだろうか。
パリでは買い物とランチしかしなかった、というわけでは決してなく、たくさん歩いた。証券取引所、オペラ座、パレロワイヤル、ルーブル、サンジェルマンロークセロワ教会など、真夏の日差しの中歩き回った。ポンビドーセンターに行こうと思うも、暑さと疲労で断念。ラファイエットでノートを買い、旅の記録をつけることにする。ホテルに帰って、夕食もとらずに8時に就寝した。時差ぼけと疲労で、泥のように眠った。

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